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○フィンディルの感想

ヒッチハイク恋物語 -京都から熊本への旅-/愛果 桃世  への感想

ヒッチハイク恋物語 -京都から熊本への旅-/愛果 桃世
作品はこちら。
への感想です。





※重大なネタバレを含みます。本感想は、作品読了後に読むことを強く推奨します。










★一言でいうと
全てにおいて作りこみが甘い作品。どういう作品を書きたいのか、そのためにどこに力を入れるのかを意識して執筆されることをオススメする。


●「ゆかり」が「祥平」の告白を受け入れる準備が皆無

本作のあらすじは、「祥平」が「ゆかり」と恋人同士になることを目的として熊本の現地学習に参加。そこでアクシデントが起きて「祥平」と「ゆかり」が二人きりになり、二人で困難を突破して「祥平」が「ゆかり」に告白、「ゆかり」が受け入れて二人は恋人関係になる。というものです。
ここで最も大事になる要素が、「祥平」と「ゆかり」がお付き合いするにいたる両者の心情の流れです。
「祥平」は元々「ゆかり」のことが好きで、恋人同士になることを目的としてこの現地学習(及び山口観光)に参加するので「祥平」はいいです。しかし「ゆかり」は元々「祥平」のことを想っているという描写はなく、今回以前は「祥平」のことを後輩の一人程度にしか認識していません。そんな「ゆかり」は今回のことで「祥平」に惹かれて、お付き合いを受け入れる。
この、何故「ゆかり」が「祥平」に惹かれたのかという心情描写がほとんどなされていません。

「ゆかり」が「祥平」の告白を受け入れる理由はひとつ明言されています。
バスに置き去りにされたときに「祥平」がヒッチハイクを提案して状況を打開しようと率先して動いてくれたこと。
他にも、二人とも母子家庭で育ったこと(ゆかりが母子家庭だったかは明言されていませんが状況的にそうでしょうね)、二人とも恋に臆病だったこと(「祥平」がそうだとはとても思えませんが)という共通点がもしかしたら関係しているかもしれません。
しかしこれらの理由は読者が「二人がお付き合いするのも自然な流れだな」と納得するにしては説得力が非常に弱いです。正直な印象としては「なんかなんとなく二人付き合ったよね」以上のものを感じません。

フィンディルがおよそ想像する理由としては若さとつり橋効果ぐらいしか思い当たりません。
年齢というのが関係するのかはわかりませんが、特別な心理動機がなくても恋愛対象になりうる人から告白をされて特別断る理由がないから受け入れた。
危機的な状況に二人一緒になって、その状況を二人で過ごしていくなかで相手が特別な存在に感じられて、その最中の告白だから受け入れた。
ぐらいなんですよね。「ゆかり」が「祥平」の告白を受け入れた理由。

「ゆかり」が弱視であることを打ち明けたというのも理由かもしれませんが、その打ち明けた理由もつり橋効果によるものでしょうし。お互いに身の上を話せたのもつり橋効果。それ以上の理由らしい理由を感じないのです。
別にいいんですよ。それでも。若さとつり橋効果によって恋人関係になりました、でも問題はないんです。現実の話と考えるとそれでお付き合いを開始したカップルは少なくないでしょう。
でもこれを作品と捉えた場合、若さとつり橋効果というのは本作を読んで受け取ったフィンディルの理解にすぎないのです。作中で丁寧に綴られた二人(特に「ゆかり」)の心情の移り変わりによって、自然に受け入れて強く頷けるようなものではなく。二人は大学生だもんね~こんな状況を二人で過ごしたもんね~という読者側の理解にすぎないのです。愛果さんがキャラ描写によって丁寧に表現した心情ではないのです。

つまり、実際若さや状況を考えて二人が恋人関係になることはまあ理解できるが、「ゆかり」がどのように「祥平」に惹かれていったのかという心情を示す描写自体がほぼ皆無であるということです。
恋人関係になるための舞台は整っているが心情が描写されていないので「舞台は整ってたもんね」ということで読者は理解するほかないのです。
まるで友達カップルの馴れ初めを聞かされている気分でした。馴れ初め話とかはそれぞれの心情なんて詳しく話さないですからね。付き合うときの話を聞いて「あーそれじゃあ付き合うよねー」とこちらが状況をもとに理解するばかり。本作にはそれと似た読後感があります。

では何故「ゆかり」が「祥平」に惹かれていく心情を読み取れる描写がほぼ皆無なのか。「祥平」の一人称文というのもあるかもしれませんが、一人称文でも他者の心情を読み取らせることは十分可能なので、一人称文だからというのは些末なことです。
愛果さんが二人の心情描写ではなく、二人の行動描写ばかりを書いていたからです。
バスに置き去りにされて二人きりになってから、話の本筋はどのようにしてこの状況を打開するか、また二人はどういう行動を取ったのかに偏重していきます。ヒッチハイクをすることになった、なかなか上手くいかなかったがなんとか成功した、ヒッチハイクで近くの駅まで乗せてもらった、そこから電車で乗り換え駅まで行った、そこで二人で晩御飯を食べた。
そういう「何をした」ばかりで、二人の心情描写が一切入ってこないのです。「祥平」は「ゆかり」との仲を深めて恋人関係になるためにこの現地学習に参加したのに、二人きりの状況というまさに仲を深める時間に、仲を深める描写が一切入ってこないのです。実際あれこれ本作に入ってないやり取りはしたのでしょうが、それを本文に書いていないなら作品として全く意味がありません。

仲を深める描写を入れる箇所は明確に二箇所あります。
ヒッチハイクに成功して老夫婦に車に乗せてもらって駅前のロータリーに向かうまでの車中、電車に乗って乗り換え駅に向かうまでの約一時間の二箇所です。車に乗せてもらっている時間がどれくらいかはわかりませんが、まとまった時間はあるでしょう。
最初に老夫婦がいて、老夫婦を間に入れての二人のやり取り、そこから二人きりで電車に揺られている約一時間。綺麗に2ステップが用意されているので、ここで互いの仲を深めるためのやり取りや心情描写がしっかり行えるはずです。弱視の描写もここで回収してしまって身の上話をここで済ませておくと最後に向かって自然な流れができます。
しかし本作ではこの二場面とも単なる移動とばかりに全カットです。
本作においてこの二場面は最も大事な場面です。もしかしたらヒッチハイクのお願いよりも大事な場面かもしれません。本来ならここでそれぞれ一ページ費やすくらい、しっかりと互いのやり取りと心情を描写するべきだったろうと思います。

仲を深めるパートで仲を深める描写を全カットして、いきなり身の上話をして告白して受け入れて恋人関係になりました。なんていう話の進め方をしてしまっているので読者はピンとこないのです。仲を深めるパートを全カットしてしまっているので、「ゆかり」が「祥平」に惹かれた箇所で「率先してヒッチハイクをしてくれた」という最初のひとつの要素しか出すことができないのです。二人が徐々に仲を深めていくという描写を抜きにいきなり告白して恋人関係になっているので「話ができすぎているね」という印象にしかならないのです。

作品としてはバスに置き去りにされて二人きりになったときに「どのようにこの状況を打開するか」は一番大事なことではないのです。それは二番目に大事なことです。一番大事なことは「ここから二人はどう仲を深めていくのか」ということです。
だってそうですよね。愛果さんは「祥平」と「ゆかり」にこの状況を打開させたくて二人きりにさせたわけではないですよね? 二人の仲を深めさせたいから二人きりにさせたんですよね? 二人の仲を深めさせたいから打開すべき緊急の状況を用意したんですよね?
ならば文章の中心に据えるべきなのは二人のやり取りとそれぞれの心情描写です。状況打開の行動描写は二の次で並行させて書くべきです。

本作で何を描きたいのか、ということをまず愛果さん本人が把握しておくべきだったと思います。

あるいは文字数に制限があったのであれば、旅行に旅立つまでに文章を割きすぎたのかもしれないですね。それで後半がキツキツになって行動描写に偏重してしまった。本当はここの心情描写が大事なのに、と。


●何故「祥平」はヒッチハイクをすることにしたのか

前項に次いで本作の重要な要素が、「祥平」と「ゆかり」がヒッチハイクをすることになったという展開です。
高速バスの休憩に寄ったサービスエリアにて男女カップルが強盗犯に追い回されて高速バスに乗ってしまった。運転手はそれで全員揃ったと誤認識して出発してしまう。「祥平」と「ゆかり」が置き去りになってしまった。
というアクシデントから「祥平」はヒッチハイクすることを決意します。

何故なのか。私は理解ができないです。
前提としてこれはバス会社のミスです。高速道路で交通事故が起きていつ着くかわからないとはいえ、ヒッチハイクを試みるよりサービスエリアに待機してバス会社の指示を待つ方が遥かに賢明です。
バス会社と一切連絡が取れないわけではありません。「ゆかり」と「沙月」は連絡が取れるのですから、「沙月」を介して運転手及びバス会社と連絡が取れます。ならばバス会社と「祥平」達が直接連絡を取ることも当然可能です。
また一般道と通じているサービスエリアも少なくありません。通常は高速利用者が一般道にそのまま下りることはできませんが、事情を話せばある程度の対応はしてくれたはずです。
そのサービスエリアがトイレしかない場所なら待機はきついですが、土産物屋が開いていてヒッチハイクのお願いを一時間続けることができるだけの人がいるのですからそこそこの規模があるサービスエリアでしょう。待機しておくのは十分可能です。

バス会社のミスなのだから対応できるしバス会社と連絡もできる。サービスエリアから一般道に下りられるかもしれない。規模があるサービスエリアなのだから待機に不安もない。
なのに何故ヒッチハイクをしたのか。
それは「祥平」がどうしても明後日の朝までに熊本県に着きたかったからです。現地学習は明後日の朝から熊本県で行われます。サービスエリアで待機してバス会社の対応を待っていれば明後日の朝までに熊本県に行けないかもしれない。サービスエリアから一般道に下りられるかもしれないとは想像しなかったのでしょう。

では何故「祥平」はそうまでして現地学習に参加したいのか。
「ゆかり」と仲を深めたいからです。現地学習で「ゆかり」と交流して恋人関係になりたいからです。
しかし「ゆかり」は今「祥平」と一緒にいます。しかも二人きりで。「ゆかり」と仲を深めるのは現時点でも可能です。むしろ多くの人数が参加する現地学習では「ゆかり」とあまり交流できないかもしれないと「祥平」は懸念を独白していました。それに対して現時点で「祥平」は「ゆかり」と二人きりです。仲を深める絶好の機会といえるではありませんか。現地学習に参加していては得られない機会です。
「ゆかり」と仲を深めるのが一番の目的だったのならば、無理して危険を冒して現地学習に間に合うように行動するよりも、サービスエリアに待機してバス会社の対応を待ちつつこの特殊な状況を「ゆかり」と仲を深めながら待つ方がよっぽど賢明です。
現在高速道路では刃物を持った強盗犯がうろついているのです。そんな中でヒッチハイクなどをすれば遭遇する可能性もゼロではない。それよりもサービスエリアに待機しておいた方が安全でしょう。当然サービスエリア側は警察に通報しているはずです。
現地学習に参加する理由として単位が足りないからというのも一応ありますが、単位がほしいから勇気を振り絞ってヒッチハイクを行うというのは不自然です。
既に現地学習参加費で二万円を払ったからという理由も一応ありますが、さすがに事情を話せば返金なりしてくれるでしょう。

ヒッチハイクなんかしなくていいんですよ。サービスエリアで待ってたらよかったんですよ。現時点が「祥平」の目的を達成する最大の機会なのです。
ヒッチハイクを決行した理由を強いて挙げるなら「非常事態でパニックになっていたから」くらいしか浮かびません。非常事態だから冷静な判断ができなかったから。
とはいえ「迎えは期待できない。タクシーも呼べない。」と独白させて他の案を潰させているので、非常事態でパニックになっていたからとすることにも説得力がありません。
愛果さんの中でヒッチハイクをさせることで絶対条件だったでしょう。緊急の状況を「祥平」と「ゆかり」が打開するという展開が絶対だったのでしょう。しかし「祥平」にこの状況を何とか打開させる必要性はありません。ヒッチハイクをせざるを得ないという状況の作り方が雑だったと思います。
「祥平」も「ゆかり」も携帯スマホをバスに置いてしまって連絡が取れない状況だったのならばまだわかりますが……。それでもサービスエリアの人にお願いすればバス会社との連絡はおそらく可能ですよね。


●「祥平」の言動にイライラすることが

本作は「祥平」の一人称視点で話が進みますが、その中で二箇所、「祥平」の言動や思考にイライラを覚えることがありました。

まずは「祥平」がヒッチハイクを試みる場面。
―――――――――――――――――――
 何人か声をかけていると、話を聞いてくれる人は出てきた。しかし……。

「迎えを待ったら?」

 そう言われて、立ち去られてしまうのだ。
―――――――――――――――――――
と、話を聞いてくれるも「迎えを待つべきだ」として断られてしまいます。
しかし声かけを続けることで老夫婦が快諾してくれます。
そのとき「祥平」は
―――――――――――――――――――
 世界には、優しい人もいるのだ。
―――――――――――――――――――
と独白します。
まず私はここにイライラしました。
この言い方ではヒッチハイクのお願いを断った人が優しくない人であるかのように感じられるからです。
ですが当然そんなことはありません。そもそもヒッチハイクのお願いはぶしつけなもので相手のスケジュールもあります。優しさが足りないから断られるのではなく、断られるのが普通のお願いです。また、
―――――――――――――――――――
 確かに得体のしれない人間を乗せるのは怖いだろう。さっき、強盗犯が刃物を振り回しているのを見た人も多いから尚更だ。
―――――――――――――――――――
と「祥平」自身が独白しているように、強盗犯の出来事があったばかりで周囲の人々にはそんな余裕がありません。
更に前項目でもフィンディルが述べたように、この状況ではヒッチハイクではなくサービスエリアで待機しておくのは賢明で妥当な行動です。
「迎えを待ったら?」という発言が面倒から逃げるためのものではなく、冷静で賢明な忠告と捉えることは難しくありません。
これらの状況でヒッチハイクのお願いを断った人を優しくない人であるかのように独白することに「祥平」の身勝手さを感じます。
老夫婦=優しい人、お願いを断った人=優しくない人という図式を想像させるような物言いではなく、「僕たちにとっての救いの神だ」や「本当に、この老夫婦には感謝してもしきれない」などのような言い回しが適切だと思います。

次ですが、
―――――――――――――――――――
「あの、ゆかりさんって目が悪いんですか?」
―――――――――――――――――――
と「祥平」は「ゆかり」に気になっていたことを質問します。「祥平」としては素朴な疑問なわけですが「ゆかり」にとっては重大な、弱視について直球で触れられた質問です。
その後「ゆかり」は意を決して自分が弱視であることと身の上話をするわけですが、それに対して「祥平」は
―――――――――――――――――――
 そんなゆかりさんが、最大の秘密を話してくれた。
 自然と、胸が熱くなる。
―――――――――――――――――――
と独白します。
このときフィンディルは「いやあんたがド直球で聞いたからやん」としか思えず、ここにもイライラしました。

弱視ということを知らず素朴な質問のつもりで聞いたので、それ自体は仕方ありません。特殊な状況ということもあって、幸い「ゆかり」は大きな不快感を覚えることなく話してくれました。しかしそれが「ゆかり」の隠したいことに直接触れてしまう発言であったと知ったならば、「祥平」は「ゆかりさんが秘密を話してくれた」と感動するよりも前にそうと知らずにぶしつけな質問をしてしまったことへの申し訳なさを感じたり、自分の言動を振り返ったりすべきではないでしょうか。
その申し訳なさなどをわざわざ「ゆかり」に伝える必要は必ずしもありません。更に気を遣わせるだけですからね。しかし思考の内では、図らずに相手の秘密に強く触れてしまったことを省みて、今後は繰り返さないなどと意識を改めるという作業を強く求めたいです。
自分がぶしつけで直球に聞いたことが契機なのに「ゆかりさんが秘密を話してくれた」と単純に感動している「祥平」に対して身勝手さを感じました。
その後、自分の身の上話をして早々に彼氏の有無を聞くところもすごく引っ掛かるところです。

と、「祥平」について二点イライラするところがありました。勿論これはフィンディルが個人的にイライラしたところなのかもしれません。

作品において登場人物が身勝手な言動を行っても許されるのは二つのパターンがあります。
・その作中で他の登場人物が身勝手な言動を指摘するなど、作中で「その言動はおかしい」と注意される場面があること。
・その登場人物の言動の是非を読者に問うような書き方をすること。
この二つのパターンはつまり、作者がその言動を「おかしい(かもしれない)」と認識したうえで敢えて書くということです。
しかし本作では上記二箇所において愛果さんが「祥平がこう思っているが、これはどうかと考える」と認識している素振りはありません。作品には「おかしくない」と認識されているが読者はイライラしてしまう登場人物の言動というのは、そのイライラが何によっても回収清算されないのです。


●登場人物の心理をこの先の展開に対応させる悪癖

前項とは関係なく、二箇所、非常に気になった部分があります。
まずは山口観光。
「祥平」は「ゆかり」と仲を深めて恋人関係になることを目指して現地学習に参加するわけですが、そこで大事なのは山口観光であると独白しています。
熊本の現地学習では参加者が多くなるので「ゆかり」とあまり交流できないのではないか、ならば人数の少ない山口こそが大事であると。
「山口からが勝負」「決戦は山口から」と独白しています。
しかし実際の山口観光はどうだったのか。
「祥平」が山口観光で行ったことといえば、巌流島で普通に観光し、瓦そばを普通に美味しく食べて、雄太に晩御飯どうするかを聞いて、高速のサービスエリアで土産物屋をブラついてただけです。どう見てもただの観光です。
唯一「ゆかり」にアピールしたことといえば、瓦そばの店で斜め前の席に座って「ゆかりさん、どうしたんですか?」と尋ねたことだけです。とてもアピールとはいえません。
「決戦は山口から」と意気込んでいたにも関わらず山口観光の結果は散々だったというほかありません。
しかしここからが不思議なのですが、この結果に対して「祥平」は一切の焦りを見せません。「山口が勝負だと思っていたのに、ほとんど会話することさえできなかった。」や「せめて熊本に着くまでには、福岡でもいいからもっと話したりとかしないと」などと思うのが自然です。勝負と意気込んでいた山口観光が本当に山口観光になってしまったことに何も思わないのはあまりにも不自然でしょう。
では何故「祥平」は焦りや後悔を一切感じなかったのか。この答えは明確です。
今から「ゆかり」と二人きりになるからです。
勿論そんなことは「祥平」は知るよしもありません。しかし愛果さんは当然そうなることを知っています。「祥平」と「ゆかり」が今から二人きりになることを知っています。
ですので山口観光で「ゆかり」とろくに交流できなかったにも関わらず「祥平」に焦りの心情を持たせていないのです。

もう一点です。
サービスエリアにて刃物を持った男が暴れました。その男は男女カップルを追い、その男女カップルが乗ったバスを車で追いかけました。
このとき「祥平」と「ゆかり」は一番に何を考えたか。状況を飲み込めない困惑の中でしたが、その後最初に考えたのはバスに置き去りにされて現地学習に間に合わないかもしれない、どうしよう、です。
おかしな話です。まず何よりも思うのは「刃物を持った男が人を追いかける現場を見た」ことと「その男がまた帰ってきて今度は自分が襲われるかもしれない」という恐怖でしょう。
その男が車に乗ってバスを追いかけたというのも「祥平」がそう思っているだけです。バスに追いつけないと考えた男が車を乗り捨ててサービスエリアに戻ってくるかもしれません。自分が強盗犯であることを悟られたかもしれないのは男女カップルだけですが、自分が刃物を持って人を襲ったのはサービスエリアの多くの人に目撃されています。「祥平」達はそう考え、僕達が目撃したから男が戻ってきて襲われるかもしれない……と恐怖に想像を働かせるのは何ら不思議なことではありません。仮に実際には戻ってくる可能性が低くても、そう想像して恐怖を感じるのは人の性ですし、自然なことです。
むしろこのようなショッキングな場面を見て恐怖を感じずに「それで、強盗犯は若いカップルを追いかけていたのか。でも、刃物持って追いかけたら余計目立つだろ。」と呑気にツッコミを入れたり「確かに得体のしれない人間を乗せるのは怖いだろう。さっき、強盗犯が刃物を振り回しているのを見た人も多いから尚更だ。」と他人事のような分析を入れる余裕はないはずです。あまりにも不自然。
確かにバスに置き去りにされたことも重大な出来事ですが、それよりも刃物を持って人を襲う男がまだ付近にいるかもしれないという事実の方がよっぽど重大です。
上の項目でも触れましたがヒッチハイクなんかしている場合ではなく、サービスエリアの中で他の人達と一緒になって身を守りつつ警察の到着を待つという行動を取るのが賢明でしょう。
「祥平」だけでなく「ゆかり」までも刃物男への恐怖を感じさせないというのも異様です。
またその刃物男はバスを追いかけたと「祥平」は考えています。バスには自分の友人達が乗っています。ならばバスに乗っている友人達を心配するのが自然です。バスに乗っているから安全というわけでもありません。男が乱暴な運転をしてバスを無理やり止めて、バスに乗り込んでくるかもしれません。あるいは追われたバスが事故を起こすかもしれません。
何もないかもしれませんが友人達が乗ったバスが刃物を持った男に追われて何一つ心配を見せないというこれも異様な心理です。

しかしこれにも明確な答えがあります。
刃物男はサービスエリアに帰ってくることもないし、バスに乗った友人達に危害が加えられることもないからです。
勿論そんなことは「祥平」はもとより誰にも知るよしはありません。しかし愛果さんは当然そうなることを知っています。刃物男は「祥平」と「ゆかり」をバスに置き去りにさせるためだけに用意した人物であり、それ以上の役割を持たせていないからです。
刃物男が登場人物に危害を加えないことを知っているので、「祥平」や「ゆかり」に恐怖や心配を抱かせていないのです。

これが本作から確認できる愛果さんの悪癖です。
作者のみが知りうるこの先の展開に対応するように、登場人物が心情を持つ。あるいは持たない。
この先の展開で二人きりになるから結果が駄目でも焦りも後悔もない。刃物男が暴れても襲われることがないから恐怖も心配も感じない。
端的にいうならば、登場人物に人間味が感じられません。
特に刃物男を見たのに恐怖を感じていない場面は目を疑うところがありますし、フィンディルはこの時点で「祥平」と「ゆかり」への感情移入を途絶しました。
おそらく愛果さんは無意識に、話の筋に沿うように、そして話の筋に関係ないものは省いて、心情を登場人物に抱かせてしまっているのでしょう。
しかし物語の筋で考えた場合で無駄であったとしても登場人物は人間なのですから、人間が自然に持つであろう心情は持たせるべきだと思います。
本作のように人と人の作品を書かれるのであるならば、この悪癖は意識的に改善することをオススメします。


●タイトルの看板に偽りあり感

若干細かいところなのですが、タイトルの話です。
本作のタイトルは「ヒッチハイク恋物語 -京都から熊本への旅-」です。
このタイトルを最初に見たときに抱く印象は「ヒッチハイクで京都から熊本まで行くんだろうなあ。で、その旅に恋が絡んでくる」です。この印象は概ね全ての人で同じだと思います。
確かに恋は絡みました。しかしその他の点は違っているということがわかります。
まず「-京都から熊本への旅-」ですが、本作は福岡で終わります。熊本まで行きません。更に「京都から」というのも確かに本作で京都から移動しますが、実際は山口からの旅みたいになっています。京都→山口間は何一つ描写がなく、ただの移動ですからね。
またタイトルでの印象は「ヒッチハイクで旅をする」というものですが、実際そうでもないこともわかります。ヒッチハイクは山口のサービスエリアから福岡の駅までの移動です。旅というのはやや苦しく、実際は他交通機関が利用できる状況までの緊急措置といった印象です。

(「京都」電車かバス→)「山口」高速バス→「山口」ヒッチハイク→「福岡」電車
が本作で言及されている移動手段です。これで「ヒッチハイク恋物語 -京都から熊本への旅-」というのは看板に偽りありという印象が拭えません。

これの何が問題なのかというと、最初に抱いたワクワク感がしぼんでいってしまうことです。
ヒッチハイクで京都から熊本へ、どういう珍道中になるのだろうかと思えば、京都から山口はあっという間で結局熊本までは行かないしヒッチハイクはちょっとだけだしと。
悪い意味で初見の印象が裏切られていくのです。
こういうお話にするのであれば「ヒッチハイクで京都から熊本まで行くんだろうなあ。で、その旅に恋が絡んでくる」という印象を抱かせるこのタイトルは、読者への騙しが入ってしまっているとフィンディルは判断します。悪い意味での裏切り。


●セリフに必ず付属する「言った」

これは愛果さんに限らず多くの方がしてしまっている癖だと思うんですけども、セリフの前後で高確率で「言った」及びそれに準じる語が入ってきています
―――――――――――――――――――
「すみません。熊本県に行きたいんですけど、車に乗せてもらえないでしょうか」

 俺は、目の前にいる五十代ぐらいの夫婦にそう言った。
―――――――――――――――――――
「面白そうだから混ぜてくれない?」

 そう言ってきたのは、ゼミの先輩である青野沙月さんだ。~
―――――――――――――――――――
「うわー、とうとう来たなぁ!」

 メンバーたちは、口々に言う。
―――――――――――――――――――
「ええっ!?」

 思わず俺は声を上げてしまった。~
―――――――――――――――――――
 そして、ゆかりさんは拳を握りしめて言った。

「私も一緒に声かける。二人で声かけたら、怪しまれずに済むかも!」
―――――――――――――――――――
そうでない箇所もちらほら見えましたが、「言った」が付属しているセリフの方がずっと多いです。
私も文章書きなので気持ちはわかります。セリフの後に「言った」をつけると文が落ち着きますからね。いい繋ぎになります。
でも読者はセリフがある時点で言っていることなんてわかってるんですよね。言ってるからセリフがあるんですから。
「ええっ!?」「思わず俺は声を上げてしまった。」も「ええっ!?」だけで思わず声を上げていることはわかるんですよね。
なのでこの「言った」は文章内容としてはほとんど無駄なのです。
―――――――――――――――――――
「私、迷惑かけるよ?」

「支えます」

 俺は即答した。
―――――――――――――――――――
なんかはですね、「即答」に「すぐに返事をした」という意味がついているので、これは「即答した」を入れることに意味があるからいいのですが。
そうでなくセリフだけで「言った」ことや「驚いた」などが容易に見て取れる場合、その後や前に「言った」をつけるのは無駄なのです。
そして文章的に無駄な語はできるだけ排除した方がいいです。

愛果さんは「目の前にいる五十代ぐらいの夫婦に」や「拳を握りしめて」という情報を付属することでこの「言った」に工夫を施してらっしゃるようですが、できれば情報を足すのではなく、「言った」を消すという方向で工夫した方がいいのではないかとフィンディルは考えます。
セリフがある度に「言った」「言った」と続くと文章がうるさくくどくなりますから、この「言った」はできるだけ使わずに登場人物の会話をこなした方がいいと思います。

なお「言った」には誰が言ったのかというのを明確に説明できる効果があります。
その場に数人いた場合に「と、Aが言った」とすればそのセリフはAが言ったことがわかりますからね。でもそういう場合でもできるだけ「と、Aが言った」という文章を入れずに「Aが言った」ことを理解させる方がいいです。
文章面での具体的な課題かなと思います。


●作品感と実話感が中途半端に混ぜられている

この項は総括のような項です。
本作は作品的な箇所と実話的な箇所が混ぜられているとフィンディルは見ています。
前もっていいますがこれは特徴でも特長でもなく欠点です。

作品的な部分といえばまず冒頭にヒッチハイクのシーンを持ってきたこと。
作品中の盛り上がるところを切り貼りして冒頭で一旦見せるというのは定番の演出であり、とても作品的ですね。
また強盗犯が脱走したというニュースを「祥平」が見るシーンを出したり、瓦そばの店で「ゆかり」が弱視であることを匂わせる伏線も当然作品的。
締めの「祥平」の独白のさせ方も作品的な締めになっています。
これらは作品としてはありふれた演出であり、まあいい意味での作品的でしょうか。
また前項でも取り上げた悪い意味での作品的もあります。他の方針も十分考えられるのに強引に「祥平」にヒッチハイクを決心させたところ、この先の展開に対応させるように登場人物に心情を持たせたところは悪い意味で作品的です。作者である愛果さんの意図と意向が登場人物に色濃く反映されていることを感じさせます。

一方実話的な箇所も見受けられます。
心情描写がほとんどなく行動描写に偏重しているところは非常に実話的ですね。友達の馴れ初め話、あるいは個人がブログで綴った旅行記にも似た印象があります。
また「祥平」のイライラさせる独白。これも個人がブログで綴った日記のようです。イライラの回収場所がないところ。
他にも物語にほとんど全く関わってこないのに名前付きで出された「樋口アキラ」という登場人物。話にほとんど関係ないのにフルネームで人を出すあたりなど、逆に上手さを感じさせるほどに実話的です。
また「祥平」の年上しか恋愛対象にならないということが「祥平」の特殊な事情であるかのように語られているところ。読者として見れば正直大して特別でもない考え方なのですが、本人としてはそれなりに重大な事象です。これも実話的。
ヒッチハイクの件も冷静に見れば「一時間粘ったらヒッチハイクに成功して近くの駅まで乗せてもらった」というだけで、作品としてみれば弱いです。しかし当事者からすれば「人生最難関」といえるイベントだったでしょう。これも実話的。

このように作品的な箇所と実話的な箇所が混ぜられているのです。
ではこれが何故欠点なのかというと、作品的と実話的の相性が悪いからです。
作品的に見れば、実話的で挙げた箇所は全て指摘対象です。心情描写がほぼない、イライラさせられる、関係ないのに名前を出す意味がわからないですし、さして重大でもないことを重大であるように取り扱われても面白くありません。
逆に実話的に見れば、作品的で挙げた箇所は全て指摘対象です。冒頭の演出は余計ですし伏線も余計、締めも余計です。キャラの行動理由が雑で作品の意図を感じさせられて実話的に見ることもできませんし、刃物男に恐怖を感じないなんて実話として見ることは不可能です。
つまりどちらかの視点に立てばもう片方は全てマイナスにしか映りません。

おそらく愛果さんは実話風に書こうという意図はなかったと思います。作品的な箇所は(悪い意味での箇所を除けば)工夫ですが、実話的な箇所は工夫をしないことが工夫です。普通に作品として書こうとして、工夫と配慮ができなかった部分が実話的という印象になっただけだと思います。
もしかしたら山口観光などで紀行は意識されたかもしれませんけどね。
なお実話的に書いて作品として面白くするというのはある程度高度なことだと思うので、色々と難しいかと思います。

これも踏まえたうえで、本作の総括をさせていただくならば、どういう作品を目指し、そのためにどういう工夫と配慮を施すかといった意識が愛果さんには全く欠けているように思います。
その意識のないままに闇雲に書き、闇雲に工夫しているため全体を通した構成が組めていなかったり箇所箇所の配慮に欠如していたりするのではないかと思います。
まずどういう作品を書くのかを考え、そのためにどこに力を入れていくのかを意識して執筆されることをオススメします。
また話を作る際にはその話にキャラを従わせるのではなく「こう考えるかもしれない」「こう考えないのは不自然かもしれない」という点を意識されることもオススメします。


●細かいところ
ここから文中で気になった細かいところを挙げていきます。

・ここで今、俺は人生最難関の旅に出ようとしている。
最後まで読めばわかるのですが、この段階では旅の途中ですね。
ヒッチハイクを始める時点で「旅に出ようとしている」とするのは不自然に映ります。
「祥平」の意識の上ではここからが旅だ、と考えればおかしいとまではいえませんが。

・俺は京都市内の大学に通っている、大学三年生だ。
関西では大学生の年次のことを「~回生」と呼称することが一般的なようです。京都の大学もこれにあてはまるようです。関西以外では「~年生」です。
なお「~年生」はその大学カリキュラムの進捗度を指し、「~回生」はその大学に何年在籍しているかを指します。留年した際に数え方が変わるということですね。
というのはさておき、地域によって呼称が異なるようなのでここは「大学三回生だ」とした方が気が利いているのかなと思います。

・深夜と言っても決していかがわしいバイトではない。
「発話する」という意味以外での「いう」は漢字ではなく平仮名表記にすることをオススメします。
文に漢字が多いと読みにくさに繋がり、ぎこちなさも生まれますので。

・24時間営業のコンビニである。
田舎であれば24時間営業でないコンビニも多く見られますが、京都市内であるならばおよそ全てが24時間営業であると思われます。
また一般認識としてコンビニ=24時間営業ですので、ここで「24時間営業の」とわざわざ修飾をつけるのは無駄であると判断します。
しかし本文ではコンビニでアルバイトしていることが重要ではなく、24時間営業であることが重要なので、そのまま「24時間営業の」を割愛すると文の意図が上手く伝わりません。
ですので「コンビニの深夜帯に働いている。」などとするのが適切かと思います。
またそうするとその後の「しかし、深夜に働いていると、当然、日中は眠くなってしまう。」で深夜に働いているという情報が重複するので、こちらの調整も必要になるかと思います。

・雄太の目の前には、チャーハン、ラーメンなど、炭水化物の皿ばかりが並んでいた。
一人称文で「炭水化物の皿」ばかりと隠喩を用いるのはやや不自然に映りました。「祥平」の語彙を見てもそういうタイプには感じられません。
普段料理のことを皿と隠喩して呼称することに馴染みもありませんし。文語的な表現ですよね。
普通に「炭水化物の料理」「炭水化物の食べ物」「炭水化物」とした方がいいのではと思います。

・一方、俺は男子にしては小食な方で、豚骨ラーメンのみである。
あまり小食とは思いませんでした。豚骨ラーメン一品を食べて満足するのは大学生男性であっても小食ではなく、一般的なのではと。
統計を取っていないのでフィンディルの想像にすぎませんし、「祥平」がそう考えているならばそれを否定することはできませんが。

・食堂のおばちゃんが作ってくれたラーメンをすすりながら、俺は言った。
食堂で食べている時点で食堂の人(本作ではおばちゃん)が作った料理であることはおよそ明らかなので、わざわざこの段階でそれを説明する必要はないと思います。
おそらくただ「ラーメン」とすることを寂しく感じて付け足したのだろうと思いますが、付け足すならばもっと別の情報がいいのではないかと思います。

・細い体に、肩より5センチほど下にある、ストレートヘアの黒髪。
「肩より5センチほど下にある」という表現だとまるで肩より5センチほど下から髪が生えてきているように受け取れます。
「肩より5センチほど下まである」「肩より5センチほど下まで伸びた」という書き方が適切ですね。

・どこか憂いをおびた目を縁取るまつげは、いつ見ても長い。
野暮なツッコミかもしれませんが、まつげの長さは基本的に一定なので「いつ見ても長い」のは当たり前だろうと思います。
そういうことではなく、「祥平」はいつも「ゆかり」のまつげの長さに美しさを感じる、ということなのでしょうが。
「いつ見ても長くて見とれてしまう」などとすればそういうツッコミ心は起きないのですが。フィンディルがツッコミたがっているだけでしょうか。

・「一つ上の先輩も、私達のクラスに来てくれてたの。だから、私も後輩のゼミに参加しようと思って」
これは「ゆかり」の発言ですが、「祥平」の質問に答えたものです。
ならば「後輩のゼミ」ではなく「みんなのゼミ」「祥平君達のゼミ」などとする方がよりよいのではないかと思います。
後輩に対して「後輩のゼミ」というのはやや事務的な印象があります。

・たとえるならば、水中に生まれては消える泡のようなもの。
泡は水底で発生して水面に上がって消えるのが通常だと思うので、水中で発生して水中で消えるというのは違和感が残ります。
私が無学なだけでそういう泡の発生の仕方もあるのかもしれません。
「水中に」は削除してもいいかなと思います。

・単位は微妙に足りない。
・でも、お金も微妙に足りない。
・だけど、ゆかりさんと接触する時間は、圧倒的に足りない!!
単位もお金も微妙に足りないと並べていますが、先ほど「ただし、参加費は数万円かかるし、現地までの交通費は自費だ。貧乏学生の俺には、とてもじゃないが払えない。」とあるようにお金は圧倒的に足りないはずです。
参加費が数万円として、京都から熊本までの往復交通費(宿泊費飲食費はわかりませんが)を考えるとかなり重たい出費になりますからね。
「ゆかり」と接触する時間の少なさを強調するために単位とお金が微妙に足りないとされたのでしょが、少なくとも「祥平」の状況からして「お金も微妙に足りない」とはいえないはずです。
愛果さんの文章意図に「祥平」を振り回している印象があります。

・参加費は二万円。貧乏学生には痛い金額だが、春休みのバイトのシフトを増やせばいい。
上と関連しますが、参加費二万円よりも往復交通費の方が確実に高くなるのでそちらへの言及もほしいです。

・集中講義には俺のゼミの友達も、何人か参加するらしく、夜行バスで一緒に行くことになった。そして、幸運なことに、ゆかりさんと、ゆかりさんの女友達数名も、一緒に夜行バスで行くことになったのだ。
「夜行バスで一緒に行くことになった。」「一緒に夜行バスで行くことになったのだ。」と文章が重なっているので、どちらかを削って文章を調整する方がいいと思います。

・ゼミの先輩である青野沙月さんだ。
おそらく「さつき」でしょうがありふれた漢字の組み合わせということでもないので、フリガナがほしいです。

・そして、あっという間に、春休みが近づいてくる。
「あっという間に」と「近付いてくる」の噛み合わせが悪いように感じます。
「あっという間に春休みまで一ヶ月となった」などがいいと思います。

・たち 達
表記揺れです。
同一の作品中では漢字表記にするのか平仮名表記にするのか、特別な意図がないならば表記を同一にする方が好ましいです。
読んでいるときに意識が散らかる原因になりますからね。

・そんなことを思っていたある日。
1ページ目でも「そんなことを思っていたある日」が出てきます。
いずれも食堂での「雄太」とのシーンなのでお決まりの切り替え方としてまあいいかとも思ったのですが、やはりどうせなら切り替え方は別のものにしておいた方がいいかな? と思います。

・体は肉体労働をしているせいか
コンビニバイトは肉体労働なのでしょうか。勿論大変な仕事ではありますが、肉体労働かといわれると疑問符が浮かびます。

・そうしているうちに、俺の中では母は守るべき存在、妹は母を守る仲間のような存在になっていく。それが、恋愛にもそのまま反映された。
・つまり、年上は恋愛対象、同い年以下は恋愛対象外、と。
この部分、理屈は理解できるのですが具体的にどういう風にこの理屈を同級生や年上にあてはめているのでしょうか。
同級生を仲間と認識してしまうということでしょうが、妹は「母を守る」という共通の目的があるのに対して同級生に対してはそういう目的を共有しないので仲間というのがどういうことなのかと理解しにくいところがあります。
この辺り、補強がほしいです。

・当然、俺の恋愛の数は激減した。出会いの場は学校が主だ。そして、接する人数は同い年が圧倒的に多い。
・両親が離婚した後、俺が恋をしたのは二年後。高校一年生の時だ。
このとき「祥平」は中学二年生で、中学二年生から高校一年生になるまでの二年間恋愛をしなかったとしています。
そしてこれを祥平は「俺の恋愛の数は激減した」と表現しています。
フィンディルの感覚ですが、二年間恋愛をしなかったことを「激減」とするのはやや違和感があります。むしろ中学二年生までの間、「祥平」はどれほど恋しがちな少年だったのかと。
勿論恋には片想いだけということも含みますから、別に「祥平」がだれかれ構わず付き合っていたというわけではないのでしょう。
ただだれかれ構わず好きになりがちな少年だったのだろうとは想像できます。一人の相手に片想いをしていたなら「恋愛の数は激減」とは表現しませんからね。
二年に一度恋するペースが「激減」なら、少なくとも数ヶ月単位で別の子に恋していたのだろうと解釈することができます。
それでもいいんですけどね。

・当然、俺の恋愛の数は激減した。出会いの場は学校が主だ。そして、接する人数は同い年が圧倒的に多い。
部活をしていれば先輩と接する場面は少なくないはずです。
「祥平」は家計を助けるために部活には入らずにアルバイトに勤しんだのでしょう。そのため学校の先輩と接することがなかった。
という文がほしいです。アルバイトをしていたため部活には入らなかった、と。
またそれと同様に大学ではサークルに所属していないという情報もほしいです。

・年上しか好きになれないから、俺はもう彼女なんてできないんじゃないかと思っていた。
そんなことはないと思います。
むしろここまでの話を見ると「祥平」は「年上でパートナーのいない人」という条件を満たせば誰でも好きになるのではないかという印象すら抱きます。
「祥平」の自己分析と、フィンディルが抱いた印象には大きな差があるような感じがします。

・テレビで朝のトップニュースを見ていると、山口県で、強盗容疑で逮捕されていた男が、脱走したというニュースが目に入った。
コンビニの深夜バイトをしているアパートに一人暮らしの男子大学生に抱くフィンディルのイメージにすぎませんが、朝にテレビをつけてニュースを確認するのはどうもズレを感じます。
勿論コンビニの深夜バイトをしているアパートに一人暮らしの男子大学生が朝にテレビをつけてニュースを確認しても何一つ問題はないのですが、朝にテレビでニュースを見るよりも大学でスマホのニュースアプリで確認する方がイメージには合致するなと思いました。

・テレビで朝のトップニュースを見ていると、山口県で、強盗容疑で逮捕されていた男が、脱走したというニュースが目に入った。
この文を省略すると「トップニュースを見ているとニュースが目に入った」となりますが、文通りが悪いです。
「朝の番組」でいいのではないでしょうか。

・大金をはたいてゆかりさんとの時間を確保したのに、何か事件が起きて中止になったら困る!
これ、中止になるとしたら山口観光なんですよね。現地学習自体は熊本なので、山口の事件で中止になることは考えにくいです。
山口観光は生徒達が自主的に行っていることなので、山口で事件が起きたら観光場所を別の都市に変更するという対応は取りやすいです。
またこの文ではお金を払って「ゆかり」との時間を確保したのに中止になったら困ると、まるでまず山口観光の話が浮上してからお金を払ったみたいに受け取れます。
しかし実際の順序では熊本の現地学習のためにお金を払って、その後山口観光の話が浮上したのでズレが生じています。
まあ「祥平」はそれほどまでに山口観光が本番であると認識していることを表しているのかもしれませんが。

・だから、決戦は金曜日ならぬ、決戦は山口からなのだ。
「決戦は金曜日」とはDREAMS COME TRUEが1992年にリリースした曲のタイトルです。
今から25年以上前の曲を、現在大学生の「祥平」がネタとして持ち出すのは世代のズレを感じます。
「え? 決戦は金曜日って知らない?」ということではないです。「決戦は金曜日」という語をインプットし知っていることと、「決戦は金曜日」をアウトプットしてネタに用いることでは雲泥の差があります。
アウトプットしてネタに用いるためには「決戦は金曜日」という語に日常的に深く親しんでいる必要があります。それをするには「祥平」は世代がズレているのではないか、ということです。
若者が昔の一発ギャグを知っていても昔の一発ギャグをすることはないように。
勿論「祥平」がドリカム好きだったらばアウトプットしてネタに用いても不思議ではないです。でもそういう文ありませんからね。
それと単純にここで唐突に「決戦は金曜日」というネタが飛び出してきたことへの困惑もあります。何故ここで?

・そして、俺はとうとう、ゼミのメンバーと共に、京都を出発し、山口県に降り立った。
・「うわー、とうとう来たなぁ!」
・メンバーたちは、口々に言う。
・今、俺たちがいるのは山口県下関市にある巌流島だ。ここは、あの宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘した島らしい。
移動順序として山口県で最初に降り立ったのが巌流島ということはないでしょう。京都→下関→巌流島というのが自然で京都→巌流島というのは考えにくいです。巌流島は無人島ですからね。およそ必ず下関市を移動して巌流島に向かわなければならないでしょう。
しかし「うわー、とうとう来たなぁ!」という発言は「とうとう」からも受け取れるように山口観光全体を指して「とうとう山口に来たなぁ!」という意味合いであることが適当です。前々から巌流島に行きたくて「とうとう巌流島に来た!」と感動を覚える人もなかにはいるかもしれませんが、メンバー達が口々に言うのは不自然ですね。
移動順序として途中下関にも降り立っているでしょうに、そこでは「とうとう来たなぁ!」とは言わずにわざわざ巌流島まで移動してから「とうとう来たなぁ!」と皆で発言したというのは腑に落ちません。
おそらく電車なり新幹線、あるいは高速バスで移動したのでしょうから、下関駅などの中心地にまずは到着するはずです。下関駅を出て「とうとう来たなぁ!」と皆で言うのが自然ではないでしょうか。

・そして、俺はとうとう、ゼミのメンバーと共に、京都を出発し、山口県に降り立った。
・「うわー、とうとう来たなぁ!」
「とうとう」が被ってますね。くどいので、どちらかは省いた方がいいかと思います。

・そして、俺はとうとう、ゼミのメンバーと共に、京都を出発し、山口県に降り立った。
この山口観光のメンバーが何人かという情報がなくてふわふわしているので、おおまかでもいいので何人いるのかという情報がほしいです。

・「いいっすねぇ。俺たちなんて、これから卒論と就活ですよ。羨ましいっす」
・俺がそう言うと、雄太やアキラなどゼミのメンバーが、うんうんと頷く。
・「何言ってんの。あたしたちも、去年は同じ立場だったんだから。頑張りなさいよ。応援してるから」
・沙月さんの激励に、俺たちはホロリとなる。
「祥平」の発言に無神経さを感じました。四年生は卒論と就活を終えてそれほど日が経っていないにも関わらず何も考えず「いいっすねぇ。俺たちなんて、これから卒論と就活ですよ。羨ましいっす」と発言するのはいかがなものでしょうか。まるで四年生が卒論と就活を何年も前に終えたり免除されたりしているかのようです。特に羨ましいとはなんでしょうか。羨ましがるより前にお疲れ様でしたと労を労うのが先なのではないでしょうか。
またそれに対して「沙月」が応援しつつ窘めたのに対し「俺たちはホロリとなる」となるのも厚かましさを感じます。自分が無神経で不愉快に取られかねない発言をしてやんわりと窘められたにも関わらず、呑気に感動を覚えているのです。
身勝手に映りました。

・俺たちは思わず声をそろえて返事した。
「思わず声をそろえて返事した」というは不思議な文章です。思ったところで声をそろえて返事するのは難しいからです。
「思わず」は省くのがいいと思います。

・そして、巌流島を出て本州に戻り、お昼ご飯を食べることにした。
「本州」というのは九州や四国などに対して用いる語彙であると認識しています。
巌流島など島に対して用いるならば「本土」が適切ではないでしょうか。

・瓦そばとは、熱した瓦の上に茶そばを乗せたものである。そばの上には卵や肉が乗っていて、見た目も豪華だ。
「卵」という表記ではどのような状態でそばの上に乗っているのかがよくわかりません。卵は様々な調理方法で食べられている食材ですからね。
また「卵」は生物学的な表記、強いて料理で使うならば生卵の状態のことを指します。本文のように「卵や肉が乗っていて」では月見うどんのように上から生卵を割り入れているかのような解釈がされやすいです。
瓦そばは錦糸玉子が使われています。「卵」ではなく「錦糸玉子」が適切でしょう。
また肉は牛肉が一般的のようなので、「肉」ではなく「牛肉」とする方が好ましいです。

・「うまー! なんだこれ!?」
・さっそく瓦そばを食べた俺たち男子が、声をあげる。
これで問題はないのですが、瓦そばは味よりも見た目に特徴がある料理だとフィンディルは認識しています。味は茶そばですからね。
なので食べた後で「なんだこれ!?」と声をあげることには違和感があります。茶そばで「なんだこれ!?」とはなかなか言わないです。その店の腕がよほど高かったとかではないと。
「なんだこれ!?」と声をあげるならば、瓦そばが配膳されてきたときに言う方がよりよいのではないかと思います。

・さっそく瓦そばを食べた俺たち男子が、声をあげる。
「さっそく」は余計だと思います。料理が運ばれてきてさっそく食べるのは当たり前ですからね。
瓦そばの写真を撮る女性陣に対して、というようなことでしょうか。

・瓦そばは、温かい天然醤油をベースにした汁がついている。
この書き方では「温かい」が「天然醤油」にかかっていますね。ただ「温かい」は「汁」にかけたいので「天然醤油をベースにした温かい汁」とした方がいいかと思います。
またこの「汁」の読みはおそらく「つゆ」ですね。ふりがながほしいです。平仮名表記でもいいです。

・そして、カリカリとした麺のおこげも最高だった。
「熱した瓦に触れた」という情報があるとなおいいと思います。どうして麺におこげができているのか、という補足として。

・瓦そばとは、熱した瓦の上に茶そばを乗せたものである。そばの上には卵や肉が乗っていて
・瓦そばは、温かい天然醤油をベースにした汁がついている。
・カリカリとした麺のおこげ
瓦そばについて検索をしていて気付いたのですが、上記の文とほぼ同一の文章が見つかりました。2017年に書かれた文なのでそちらの方が先でしょう。
ご自分の言葉で書かれた方がよいのではないでしょうか。
拝借していないのならば、2017年に類似した文章が書かれていますので、本作の文章を変えておいた方が無難だと思います。

・ゆかりさんは、眉をしかめながら瓦そばを食べている。そして、顔と瓦そばの距離が、やたらと近い。
・顔に、そばが付くんじゃないだろうか?
・しかも、顔を近づけているにも関わらず、何度かそばを掴み損ねている。
「ゆかり」が弱視であることを匂わせる場面ですが、一度食事をともにするだけで不審に思うほどにわかりやすいことが、何故今までわからなかったのだろうかと疑問に思いました。
一緒に食事をしないまでも、一緒にゼミに参加していたら「ゆかり」が極端に目が悪いことを知る機会はいくらでもあったのではないかと思います。


「アキラ」が山口出身なので山口観光だったのに、「アキラ」がしたことといえば瓦そばを食べる面々を見てドヤ顔で頷いたことだけです。
別に「アキラ」に山口ガイドをしろというわけではありませんが、せめて「アキラが山口に来たら絶対に食べろとうるさく言う瓦そば」など、この山口観光の提案は「アキラ」によるものであるとアピールする文章がもう幾つかほしいです。

・そして、夕方。
・夕方には福岡県に着く。
さすがにどちらも「夕方」とするのはおかしいです。「夕方に出発して夕方には着く」というのはあまりにも収まりが悪いです。
四時頃に出発して六時前には着く、というようなことを仰りたいのだとは思いますが、「夕方に出発して夕方には着く」以外の言い回しを求めたいです。

・そして、休憩のために、サービスエリアに立ち寄った時のことだ。
到着は福岡ですが、その後熊本に行くことを考えると福岡の博多区まで向かうのが妥当です。
この高速バスは下関~博多の高速バスでしょう。
調べてみますとサンデン交通の高速バス「ふくふく号」が下関~博多(天神)を運行しています。所要時間は1時間30~40分程度です。トイレ休憩はどうもないようです。
別に福岡・山口ライナーというバス路線もあり、こちらはトイレ休憩があるようですが山口県山陽小野田市・宇部市・山口市での乗降車なので下関市で乗車することはできません。山口県西端である下関市からわざわざ東にある市に移動してこちらに乗るというのも考えにくいですしね。
ということで下関から福岡に向かう高速バスが休憩でサービスエリアに立ち寄るということは考えにくいです。

・茫然とする俺の目の前で、刃物を持った男は、駐車場に止めていた車に乗り込み、バスを追いかけ始める。
追いかけたと断定するのはやや難しい状況なので「追いかけるためかサービスエリアを出ていった」などとするのが適切かと思います。

・「沙月からメッセージが来たんだけど……」
・ゆかりさんはそう言って、携帯を差し出す。
「沙月」から「ゆかり」に状況説明がなされるシーンです。ここで「沙月」から「ゆかり」にメッセージが送られ、それを「ゆかり」から聞くことで「祥平」も状況を理解します。
しかし「祥平」と「ゆかり」が合流しているかどうか、「沙月」達は把握していません。
土産物屋があるこのサービスエリアはそれなりの規模を持っていると推察されます。
同じ場に「祥平」あるいは「ゆかり」がいるとわかっていれば互いに探し出して合流することは難しくありませんが、「祥平」あるいは「ゆかり」がいるとわかっていない状況では合流しようとは思いません。この程度の広さならば、合流しようと思わなければ合流できないままということも十分考えられます。
なので「雄太」から「祥平」に同様のメッセージが送られるか、「沙月」からのメッセージで「祥平君もそのサービスエリアにいるからゆかり合流して」などと言われているかをされている必要があります。
本文では省いているだけなのかもしれませんが、「沙月」や「雄太」から合流を指示されるようなメッセージを受け取ったという文を入れておいた方がよいと思います。

・「若いカップルは犯人の顔をチラチラと見ていた。だから、正体がバレているのではないかと思って、パニックになったらしい……?」
「沙月」のメッセージですが、大学生が若いカップルのことを「若いカップル」と書くでしょうか?
自分達は大学生なので、大学生のことは大学生と呼びますね。高校生なら高校生。二十代の社会人なら自分達より年上であることが予想されるので「二十代」「社会人」などと呼びますね。
「若いカップル」と呼ぶことはあまりないのではないかと思います。

・それで、強盗犯は若いカップルを追いかけていたのか。
この男のことを「祥平」達は「強盗犯」と呼んでいますがここに違和感があります。
実際にニュースで拘置所や刑務所に入れられた人が脱走したと報じられることがあります。このとき私達はこの人のことを「脱走した人」という認識をすることが多いですが、この人がそもそもどういう犯罪を犯して逮捕されていたのかということはあまり覚えていません。脱走犯、脱走者、脱獄犯という印象ばかりなのです。
そしてこの脱走犯が脱走したのはこの旅行の半月前です。半月前に脱走したならばニュースなどで散々脱走犯として報じられるはずです。強盗犯のイメージはもはやないでしょう。
しかしこの後も「祥平」はこの脱走犯のことを強盗犯として認識しています。
勿論それでも構わないのですが、ここは脱走犯と呼称しておくのがより適切なのではないかと思います。

・そして、強盗犯に追いかけられた二人は、間違えてバスに逃げ込んだ。
間違えてバスに逃げ込んだというのはやや不適切な言い回しだと思います。
刃物を持った人に追い回されていたわけですから、正しかろうが正しくなかろうが自分達の命を守れそうな場所に逃げ込んだということだと思います。それがたまたま高速バスだった。
「慌ててバスに逃げ込んだ」などがいいのではないかと思います。

・乗車人数は合っていたので出発したらしい
これは「祥平」もツッコミを入れているのですが、こんなことがあるのでしょうか。
いや逃げ込んだカップルを「祥平」と「ゆかり」と間違えたということを指しているのではありません。
バスに逃げ込んだカップルは間違いなく気が動転しているはずです。息も荒いでしょう。間違いなく緊急事態です。
そしてバスに乗っていた他の人達もいますので、外に刃物を持った男がいることは容易に気付けるはずです。それによりバスの運転手もおおまかな状況を理解するでしょう。
そういったなかで「乗車人数は合っていたので出発した」なんてことがあるのでしょうか。「緊急事態なのでとにかく出発した」とするのが適当ではないでしょうか。
上の項目でも触れましたが、愛果さんは刃物を持った男が暴れていることに対しての危機意識の描写が著しく欠如しています。

・だから、迎えを出しても、辿り着くのは、いつになるかわからない……?
「辿り着く」とは苦労の末にようやく到着するという意味です。ニュアンスとしては道筋がわからないであるとか紆余曲折があってというニュアンスです。
確かに高速道路で事故が起きたので大きな足止めは想定されますが、道筋は明らかでしょうから「辿り着く」というのはいささか違和感を覚える言い回しです。
「到着する」でいいと思います。

・驚いたように目を見開く、ゆかりさんをよそに、俺はあたりを見回した。
ひとつめの読点が余計ですね。「目を見開く、ゆかりさん」→「目を見開くゆかりさん」

・聞いた瞬間、俺は目に精一杯、力を入れる。
「力を入れる」だと意思をもって行っているので「聞いた瞬間」との噛み合わせが悪いです。
「聞いた瞬間、俺の目に力が入る」「聞いた瞬間、思わず俺は目に力を入れる」などがいいのかなと思います。「思わず」は使用回数がかなり多いので少し避けたいですが。

・そして、老夫婦は鉄道が通っている近辺まで送ってくれた。駅前のロータリーで車は止まる。
「鉄道が通っている近辺」はまどろっこしいので省いていいと思います。
「そして、老夫婦は福岡県のとある駅まで送ってくれた。駅前のロータリーで車は止まる。」などがいいかなと思います。実在の駅名でもいいですね。

・旦那さんはそう言いながらも、受け取ってくれた。
この前の二回では「ご主人」と呼称していたのですが、ここでは「旦那さん」になってますね。呼称なので語彙は動かさない方がいいと思います。
個人的には「ご主人」ではなく、「旦那さん」の方が合ってるかなと思います。

・今日は、福岡県のホテルに宿泊予定だ。
現在福岡県に「祥平」達はいて、しかも移動の最中なのに、「福岡県のホテルに宿泊予定だ」なんて言いますかね? 言わないと思います。
「○○市のホテルに宿泊予定だ」とするのが妥当ではないでしょうか。また福岡市ならば「福岡市○○区のホテルの宿泊予定だ」などですね。

・野菜中心のサラダ丼を選んだゆかりさんは、ご飯を一口食べて、そう言った。ゆかりさんは、木製のスプーンで、ご飯をすくっていく。
「ご飯」という言い回し、駄目だとは思わないのですが妙に引っ掛かる言い回しです。
丼ものだけあって米だけ食べているのかという印象を与えかねません。
ただ「ご飯」でなければなんなのだという疑問もあるのでやや悩ましいところなのですけど、「ご飯」は省いてもいいかもしれませんね。
「野菜中心のサラダ丼を選んだゆかりさんは、一口食べて、そう言った。ゆかりさんは、木製のスプーンですくっていく。」でもおかしくないです。

・「俺もです。しばらく休憩しましょう」
「乗り換えの電車まで少し時間あることですし」という補足がほしいところです。

・「あの、ゆかりさんって目が悪いんですか?」
・そう言った途端、ゆかりさんの顔が目に見えて硬直した。
目のことをきいて「目に見えて」と重ねるのは気になりますね。できれば「目に見えて」以外の表現がいいです。

・しばらく沈黙していたが、やがて何かを決心したように、強い目をして言う。
・「私ね、弱視なの」
こちらは意図が感じられていいと思います。強い目をして弱視であることを打ち明ける。

・「じゃぁ」
さすがに「じゃあ」が好ましいと思います。「じゃぁ」は軽い印象があります。

・全身が心臓になったようで苦しい。
いい表現です。「祥平」の一人称文にも合っていていいですね。わかりやすい。

・ゼミに入ったばかりの頃だ。
「俺が」がほしいです。「ゆかり」は既にゼミに入っているので。

・俺の悩みに、一つ一つ耳を傾けて聞いてくれた。
「俺の悩みに」→「俺の悩みを」

・「俺、親が離婚した後、怖くなったんです。いつか、恋には終わりが来るんじゃないかって。実際、高校の時にできた彼女とも別れました」
・だけど、今の俺は、裸の自分をさらけ出すことに抵抗を感じていなかった。
・「恋をしても、いつか失う。それなら、最初から好きにならない方がマシだと思ってたんです。そんな俺が五年ぶりに恋をした。だから、弱視でも関係ないです。ゆかりさんは、ゆかりさんです」
おかしいですね。「祥平」が恋をしていなかったのは「年上かつパートナーがいない人」という条件を満たす相手が周囲にいなかったからです。高校時代にはその条件を満たす相手が一人しかいなかったのでその人とのみ恋愛をし、部活及びサークルにおそらく所属していなかったのでそれ以後恋愛対象がいなかった。だから恋愛をしなかった。それだけのはずです。
以前には「羨ましいことに彼女持ちの連中は、春休みはデートだ、旅行だと浮かれてやがる。俺には関係ない話だチクショー! 俺だって彼女ほしいわ!」という文章もあり、とても恋をすることに臆病になっていたなどという素振りはありません。これは独白ですから嘘をついていたということもありませんし、今回の旅を通して本当の自分の気持ちに気付いたなんていう描写もどこにもありません。
「祥平」は恋愛対象の相手がいなかったからというだけで、むしろ恋しがちな人というのがフィンディルの理解です。「恋をしても、いつか失う。それなら、最初から好きにならない方がマシ」という考えを持っていたなどということは初耳です。
もしかするとこの場で「ゆかり」に対し、自分は年上の人しか恋愛対象にならないと伝えることを躊躇ったのでしょうか。そして「恋をしても、いつか失う。それなら、最初から好きにならない方がマシ」と「ゆかり」の考え方に近しいであろう物言いを敢えてしたのでしょうか。「ゆかり」に嫌われないように。「ゆかり」からの心証をよくするために。
ならば「祥平」はこの大事な場面で人間相応の姑息さと浅薄さを垣間見せたということになるかもしれません。
フィンディルは「祥平」に対してよい印象を抱くことはできないですね。少なくともこの発言にそれまでの「祥平」の独白との関連を見出せず、今回の旅で「祥平」の恋愛観に大きな変化がなされたという描写が見当たらない以上、この発言が「祥平」の「裸の自分」だとはとても思えません。

・「私、迷惑かけるよ?」
・「支えます」
・俺は即答した。
弱視について先ほど初めて聞いたにも関わらず、「支えます」と即答する「祥平」は実に向こう見ずな印象を与えます。
ただこれに関してはいい意味で向こう見ずだなとも思えます。知識はなくても想いさえあれば支えていける、という気概を感じます。実際問題どのような困難があるのかないのかはわかりませんが、まず「支える」と宣言・即答することはひとつ大事なことだなと思います。
ただその前に「祥平」はフィンディルの目から見て随分と調子のいいことを言っているので、この発言も一体どんなもんだろうなという印象も覚えます。

・「さっき、祥平くんがヒッチハイクしてくれた時、かっこいいなって思ったの」
「さっき」の具体的時間については勿論それぞれの主観なのですが、「老夫婦の車に乗っている時間」「駅に入りホームで電車を待つ時間」「電車に乗った約一時間」「電車を降りて飲食店に入り注文して丼を受け取る」「食事の約二十分」がかかっています。最低でも一時間二十分、実際は二時間から三時間かかっているでしょう。
しかもこの三時間は緊急事態を打開した非日常な三時間ですからね。心理的に見ればもっと長い時間に感じられるでしょう。
この時間のことを「さっき」と呼ぶのはやや無理があるかと思います。

・そして、俺たちは、どちらからともなく顔を近づけていった……。
別にいいんですけど、飲食店というのが気になりましたね。二人とも人目を気にしそうなタイプなのに。
キスしたとは書いていませんが。

・そして、五年ぶりに恋人ができた日のことを、俺は一生忘れることはないだろう。
この書き方では「ゆかり」さんと恋人同士になれたことよりも彼女ができたことの方が重要という風に読み取れます。
それはいかがなものかと思います。
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Date:2019/01/24
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