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あむあむあむ

○フィンディルの感想

言葉を得た猫/十八十三  への感想

言葉を得た猫/十八十三
作品はこちら。
への感想です。





※重大なネタバレを含みます。本感想は、作品読了後に読むことを強く推奨します。










★一言でいうと
二つのオーソドックスが並走した作品。その分涙を誘う手数は多いが、オーソドックスの切り替えが強引。


●病死のオーソドックスと意思疎通のオーソドックスが並走した作品

本作のあらすじです。上でも注意をしていますが、本作をまだ読んでいない方は読まないようにお願いします。
人と話せることを獣神様に願った黒猫(言ノ葉)は人間の少女雪と出会い、話し、共に暮らすことになる。しかし言ノ葉は他の猫と会話をすることができなくなっていた。また雪が労咳であることが判明する。言ノ葉は町医者を呼ぶが言ノ葉は雪以外の人間とも話せないことがわかる。幸運にも来てくれた町医者の言葉から言ノ葉は自分が黒猫だから労咳を治すために連れられてきたのではと悩み、雪の傍から逃げ出す。逃げた先で獣神様に、言ノ葉は雪一人としか話すことができなくなっていることを教えられ、言ノ葉は雪のもとへ帰る。が言ノ葉が離れている間に雪は亡くなってしまい、言ノ葉は後悔とともに一人きりになる。人間とも猫とも話せない言ノ葉は食べることすら満足にできず、雪が眠る墓の前で息絶える。
これが本作のあらすじです。奇の衒いのない悲劇で、フィンディルは読みながら涙目になってしまいました。

と、本作の読み味としては「奇の衒いのないオーソドックスな悲劇」というのが大勢だと思います。が、本作の構成はその印象は半分正解半分不正解のものではないかとフィンディルは考えています。
というのも本作にはオーソドックスが二つ詰められているからです。
病死のオーソドックスと意思疎通のオーソドックスとでも呼びましょうか。
病死のオーソドックスとは、出会った二人が交流を重ねるが片方が不治の病であることが判明しその中ですれ違いが発生し一旦離れ離れになるも相手の想いに気付いて急いで戻ってみたら既に亡くなっていて後悔する。というもの。
意思疎通のオーソドックスとは、本来会話できない存在との会話を望んで叶った者が特定人物との会話や交流を楽しむがその代わりに元々交流していた者と能力的理由や疎外により交流ができなくなり更にその特定人物が何らかの理由でいなくなり誰とも会話できず孤独になってしまう。というもの。
いずれもよく目にするようなストーリー展開です。そして本作にはこの二つのオーソドックスが詰められて、展開しています。病死のオーソドックスは雪の労咳、意思疎通のオーソドックスは言ノ葉の契約ですね。

以上のように本作は「奇の衒いのないオーソドックスな悲劇」とはいいにくい構成を持っております。では何故本作の印象が「奇の衒いのないオーソドックスな悲劇」なのでしょうか。

それは病死のオーソドックスと意思疎通のオーソドックスが互いにほとんど影響を与え合っていないからです。病死のオーソドックスの進行に意思疎通のオーソドックスはほとんど関係なく、意思疎通のオーソドックスの進行に病死のオーソドックスはほとんど関係しません。
病死のオーソドックスのみを利用してあらすじを書きます。「黒猫(言ノ葉)は人間の少女雪と出会い、共に暮らすことになる。そんななか雪の体調が悪くなり、言ノ葉は町医者を呼ぶ。その町医者の言葉から雪が労咳であることが判明。言ノ葉は自分が黒猫だから労咳を治すために連れられてきたのではと悩み、雪の傍から逃げ出す。しかし雪と過ごした時間が楽しかったなどの理由で言ノ葉は雪のもとへ帰る。が言ノ葉が離れている間に雪は亡くなってしまい、言ノ葉は後悔とともに一人きりになる」
意思疎通のオーソドックスのみを利用してあらすじを書きます。「人と話せることを獣神様に願った黒猫(言ノ葉)は人間の少女雪と出会い、話し、共に暮らすことになる。しかし言ノ葉は他の猫と会話をすることができなくなっており、更に雪以外の人間とも話せないことがわかる。言ノ葉は獣神様に、自分は雪一人としか話すことができなくなっていることを教えられる。が雪は労咳で亡くなってしまい、言ノ葉は一人きりになる。人間とも猫とも話せない言ノ葉は食べることすら満足にできず、雪が眠る墓の前で息絶える」
それぞれのオーソドックスが綺麗に成立しています。本作を丁度半分に割ったという感じがします。また丁度半分に割れてしまうのです。オーソドックスが互いに強く影響を与え合っていたら半分に割ることはできません。それぞれのオーソドックスが密接に絡まってひとつの物語になっているというより、それぞれのオーソドックスが並走してひとつの物語という体を取っているといった方が近いかもしれません。構成で考えると二つの物語が成立しています。
そして本作の涙が滲むポイントといえば言ノ葉が離れている間に雪が亡くなってしまったこと、人間と話したいと願った黒猫が猫とも人間とも話せなくなってしまったことですが、前者は病死のオーソドックスによるもの、後者は意思疎通のオーソドックスによるものです。二つのオーソドックス、二つの物語が互い違いに現れて読者に訴求している感じです。
これにより二つのオーソドックスを展開させるというやや特殊な形式であるにも関わらず、読者が得る印象は「奇の衒いのないオーソドックスな悲劇」になっているのだとフィンディルは考えます。
やっている構成はやや特殊なのですが、そこから出てくる面白さは王道中の王道なのです。

では本作のこの構成に対してフィンディルは好印象を抱いているのか悪印象を抱いているのか。
オーソドックスな展開を二つセットにして並べているというのは決して悪い手ではないと思うのです。病死のオーソドックスと意思疎通のオーソドックスを組み合わせないとできない展開にしてオリジナリティを求める必要は必ずしもありません。それぞれのオーソドックスは長い間繰り返し使われて読者に確かな訴求力があると認められた展開達です。これらを二つ並べて波状攻撃のように訴求していくという展開を持たせるというのは、構成の組み方として十分効果と価値のあるものだと思います。手数が増えますから。
特殊なことをしているから他にない読み味を出さないといけないということはないです。特殊なことをしてオーソドックスな読み味を出すのも立派なひとつの手です。

がフィンディルの結論を申しますと、本作のこの構成には悪印象を抱いています。理由は次の項目です。


●それぞれのオーソドックスを満たすための、強引な切り替え

本作は病死のオーソドックスと意思疎通のオーソドックスが並走していますが、後半になると互い違いに現れます。
病死「雪の病気が酷くなり言ノ葉が町医者を呼びに行く」→意思疎通「言ノ葉は町医者と会話できないことがわかる」→病死「町医者に来てもらうが言ノ葉が雪の想いを疑って逃げ出す」→意思疎通「獣神様に契約について教えてもらう」→病死「急いで戻るも雪は亡くなっていた」→意思疎通「言ノ葉だけになり誰とも交流できず息絶える」となっています。
前の項目でも述べましたが、病死のオーソドックスと意思疎通のオーソドックスは互いに影響を及ぼしません。それぞれがそれぞれの展開として成立しているため、病死と意思疎通の展開を切り替える必要がでてきます。それぞれの展開はそれぞれのオーソドックスを満たすことを主目的に進むので、病死と意思疎通の切り替えに利用していくのは容易ではありません。二つの物語を並走させているので当然でしょう。
この二つのオーソドックスの切り替えを自然にスムーズに行うことが、二つのオーソドックスを並走させる構成に求められるプロット手腕といえるでしょう。二つのオーソドックスを維持しつつ、ストーリーライン上は淀みのないひとつの物語にするのです。構成は二つで物語はひとつ。そう考えるとそれなりに難易度の高い手法と呼べるかもしれません。
それぞれの展開を綴るのはオーソドックスの雛型があるので簡単ですから、ここに作品の品質は表れません。それぞれのオーソドックスの展開の切り替えにこそ、作品の品質が表れます。

という視点で本作を見た場合、単刀直入に言わせていただくならば稚拙と断ずるほかありません。
病死「雪の病気が酷くなり言ノ葉が医者を呼びに行く」→意思疎通「言ノ葉は町医者と会話できないことがわかる」は問題ないですね。雪の容態が悪くなったので言ノ葉が医者を呼びに行くというのは病死ストーリーでは自然な流れですし意思疎通ストーリーの他の人間と会話を試みさせることを満たしており、自然な切り替えといえるでしょう。「猫は本来自分の死体を誰かに見せることはしない。弱っているところを狙われないよう誰にも気づかれない場所に身を隠すが、その間ご飯も食べれずそのまま憔悴しきって死んでしまうのだ。」とされる猫が人の調子が悪くて医者を呼びに行こうとする違和感はありますが、言ノ葉は非常に人間的な思考を有しているので飲み込める行動ではあると思います。

意思疎通「言ノ葉は町医者と会話できないことがわかる」→病死「町医者に来てもらうが言ノ葉が雪の想いを疑って逃げ出す」ですが、これは強引ですね。
意思疎通ストーリーでは雪以外の人間と話せないことを示す必要がありますが、病死ストーリーでは雪の前から逃げてもらう必要があります。意思疎通ストーリーでは会話ができず「医者を呼ぶ」という目的を達成できないのが自然ですが、病死ストーリーの都合上「医者を呼ぶ」という目的を達成してもらわなければなりません。
ここで十八さんは「黒猫=労咳を治す」という迷信を使います。序盤、雪が猫を探していたという伏線を回収することでここの切り替えを乗り切ろうとするのです。呼べないのに呼ぶ、ということを読者に気にさせないようにしたのです。
とはいえ偶然暇だった町医者が黒猫の言ノ葉を見て労咳のことを考えて労咳患者の雪のことを思い出してその場で言ノ葉を連れて雪の家へ向かう、というのは都合のよすぎる展開です。
「黒猫=労咳を治す」という迷信と伏線であまり気にさせないようにはしていますが、それでも町医者の行動は次の展開のための強引なものとフィンディルは考えます。

病死「町医者に来てもらうが言ノ葉が雪の想いを疑って逃げ出す」→意思疎通「獣神様に契約について教えてもらう」です。
病死ストーリーでは悩みと疑いを抱えて逃げてもらう必要がありますが、意思疎通ストーリーでは言ノ葉が雪としか話せない理由を示す必要があります。
雪の想いに疑いを持った言ノ葉は向かう当てもなく走りますが、何故か理由もわからず言ノ葉は気付けば獣神様の祠にいます。森は言ノ葉の故郷と呼べる場所でしょうからそれは納得できなくもありませんが、都合よく移動を利用した印象は拭えないです。
更に言ノ葉が逃げ出した理由は雪の想いに疑いを持ったからですが、そこで獣神様に訊いたことは「どうして雪としか話せないのか」ということです。
―――――――――――――――――――
 言ノ葉は獣神様なら何か知っているのではないか。そんな淡い期待を抱いて再び獣神様に呼びかけた。

(雪は黒猫を探していたの?)

(別に僕じゃなくても良かったの?)

(言葉を喋る僕じゃなくても、黒い猫なら誰でも良かったの?)

 聴きたいことは山ほどあった。でも、今言ノ葉が一番知りたいと思ったのは、(なんで他の猫や雪以外の人間に僕の声が届かないの?)という疑問だった。

 これが獣神様の言っていた『犠牲』なのか。その事についてだけはどうしても知りたかったのだ。それ以外の疑問は、雪本人に聞けば分かることなのだから。

「獣神様、獣神様。どうか私に再び御声をお聞かせください」
―――――――――――――――――――
と本文中で理由が示されていますが、かなり強引な動機付けに見えました。
本来雪の想いに疑いを持って逃げ出した言ノ葉は雪の想いについて悩み苦しむのが自然です。しかし意思疎通ストーリーの都合のため、言ノ葉の疑問を「どうして雪としか話せないのか」に強引に設定します。
「それ以外の疑問は、雪本人に聞けば分かることなのだから。」というのは特に厳しいです。まるで読者への言い訳のように聞こえます。
ここの部分は明らかに「次の展開のためだから言ノ葉はこう思ったということにしておいてください」という十八さんの声が聞こえてきます。おそらく十八さんも執筆時に自覚されていたのではないでしょうか。ここの動機付けが厳しいなと。

意思疎通「獣神様に契約について教えてもらう」→病死「急いで戻るも雪は亡くなっていた」です。
意思疎通ストーリーでは言ノ葉が雪としか話せない理由を示す必要があり、病死ストーリーでは雪への疑いを晴らして雪のもとへ帰らせる必要があります。
しかし言ノ葉が雪としか話せない理由は契約上の事情であることが明らかとなり、それをもって雪への疑いが晴れるわけではありませんでした。言ノ葉が、雪の想いに抱いた疑いを晴らすための材料は与えられなかったのです。
では言ノ葉はどのように考えて雪のもとへ帰ろうと考えたかというと
―――――――――――――――――――
 雪に連れられ、雪と過ごしたあの家へ。勢いのまま飛び出してきてしまったあの家へ。雪がどんな理由で言ノ葉を拾ったかなんてわからない。たしかにきっかけは町で聴いたあの噂からかもしれない。けど、一緒に過ごした時間は変わらない。ほんの少しの間だったが、確かに雪の隣は暖かかった。

 それに言ノ葉はもう雪以外とは話せないのだ。つまり、頼れるのは、寂しさを感じさせないのは、帰る場所は雪しかいないのだ。帰って、飛び出て行ったこと謝って、仲直りして、又いつも通りに戻ろう。病気だとかそんな事関係ない、居たいから一緒にいるし、それで雪の病気を治せるかもしれないならそれでいいじゃないか。いや、寧ろそれが一番良いじゃないか。言ノ葉はそう思うと、自身の内に蔓延っていた黒いナニカがスーッと消えて楽になったような気がした。そして、それに比例する様に自身の脚も速くなっていくように感じた。
―――――――――――――――――――
とありますが、一言でいうならば開き直りです。雪がどう考えているのかはわからないが、雪としか話せないのなら仕方ない。一緒に過ごした時間は楽しかったし、自分がいて役に立てるかもしれないならいいじゃないか。といったものです。
通常病死のオーソドックスでは何かしらの事実により相手の自分への想いに気付かされて疑いを晴らすという展開が多いです。疑いが晴れることにより、離れようとした自分の行動自体が誤りであることに気付くのです。
しかし本作では雪の想いへの疑いを晴らしたわけではないので、言ノ葉が離れようとした自分の行動自体が誤りであると気付くことができません。自分の行動も抱いた疑いも何一つ解決していないけれども、現実問題雪の傍にいるのがベターであることがわかったので帰ろうか。言ノ葉が帰る動機付けとして非常に強引です。
無理もありません。意思疎通ストーリーでは、言ノ葉がどうして雪としか話せないのかという説明が第一です。雪への疑いを晴らすのは病死ストーリーの都合上必要なものであり、何か工夫をしなければ意思疎通ストーリーにおいて「雪への疑いを晴らす」という要素は入ってこないのです。
しかし病死のストーリーを進行させるためには言ノ葉には気持ちを入れ替えてもらって雪のもとへ帰ろうと思ってもらわねばならない。そこで出されたのが、現実的な開き直りなのです。ここの件にも十八さんの執筆時の苦悩が透けて見えます。言ノ葉の心情描写に文章を重ねて、なんとか説得力を持たせようと苦心されているのが窺えます。

病死「急いで戻るも雪は亡くなっていた」→意思疎通「言ノ葉だけになり誰とも交流できず息絶える」です。
ここは展開のさせ方は当然ですが問題ありません。病死のストーリーでは雪が亡くなる必要がありますし、意思疎通のストーリーでは雪がいなくなって言ノ葉に一人になってもらう必要があります。
雪が亡くなるということそれ自体で展開上の繋ぎはクリアします。
しかしその意味合いは両者で大きな違いがあり、本作はその違いの余波を強く受けてしまっています。
病死のオーソドックスでの死というのは大切な人の死であり、他でもないその人がいなくなってしまったという意味合いがあります。
しかし意思疎通のオーソドックスでの死というのは孤独を指しており、これで意思疎通できる者が全くいなくなってしまったという意味合いがあります。
前者が喪失、後者が孤独でしょうか。
本作では病死ストーリーでは雪の死は喪失を表しているのですが、直後の意思疎通ストーリーは雪の死は孤独を表しています。
ここは畳み掛けのパートなので、雪の死=言ノ葉の孤独という二つの悲しみを畳み掛けているのですが、それぞれで雪の死が喪失であったり孤独であったりと意味合いがブレているので、読んでいて雪の死をどのようにフォーカスすればいいのかと読みにくさ感情移入のしにくさが生まれてしまっています。
また通常喪失から孤独への移行はそれなりの時間が伴うものです。病死のオーソドックスにおいて孤独に言及する場合は、喪失から孤独への移行にはある程度の文章的余裕を持たせます。しかし本作は病死のオーソドックスを完了した後はすぐさま意思疎通のオーソドックスを完了させなければなりません。ですので病死のストーリーの直後に意思疎通のストーリーを置くため、喪失から孤独への文章的スパンがほとんどないままに記されてしまっています。短い間隔で雪の死の意味合いが喪失から孤独へ変換されているので、終盤の情緒が削がれてしまっています。
とはいえ最後の締めの辺りでは、上手く病死と意思疎通、喪失と孤独とを掛け合わせるような文章努力をされているのを窺うことができます。上手い具合に混ざっているのではないでしょうか。

と、以上に例示させていただいた通り、本作では病死のオーソドックスと意思疎通のオーソドックスとの切り替えが上手くいってないように見受けられます。
それにより、特に言ノ葉の心理に展開都合上のテコが入れられており、かなり強引な思考回路が構築されています。おそらく十八さんも自覚されているはずです。
オーソドックスはオーソドックスなだけあって確かな面白さ、確かな感情移入をもたらします。本作は面白いです。フィンディルは終盤を読むと目が潤みます。しかしそれは十八さんの技量というよりは、オーソドックスをそのまま採用したからこその面白さと呼べるものです。オーソドックスをひとつ入れた物語ならばそれでもいいでしょう。
しかし本作はオーソドックスを二つ並走させるという構成を敷いています。ならばこのオーソドックスの切り替えにこそ作者の技量が発揮されるのであろうとフィンディルは考えます。
ここの切り替えを磨き、二つの構成を持ちながらもひとつの淀みのないストーリーが組まれたときが、オーソドックスの並走という構成が輝くときであろうと思います。


●半端に入れられた猫知識

本作は黒猫が主要人物として登場するお話です。
こういう動物が登場する話や異世界を舞台にした話、特定の業界を題材にした話では度々リアリティというのが求められます。
しかしこのリアリティというのは作品に登場する情報全てを現実に従わせるものではないとフィンディルは考えています。飽くまで作品が作品としての面白さを出すうえで、それを著しく損ねない程度に従うものであればいいと考えています。リアリティの程度はその作品によって可変なのです。

ということで本作を見た場合、そもそも猫が人と話せるようになるという大きな非現実があります。この大きな非現実がある以上、基本的なことは「そういう作品だから」で済ませることができるはずです。
例えば言ノ葉が猫にしてはすごく人間的な思考を有するであるとか、猫の知能は人間の2~3歳程度なのにそれにしては賢すぎるとか、そういったようなツッコミは全て野暮と斬り捨てられます。それを言ってしまっては意思疎通のストーリーは成立しませんからね。

しかし、では本作においてのリアリティ的ツッコミは全て野暮と片付けられるのかといわれると、実はそうではありません。
その理由は本作に入れられた猫知識にあります。
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 今にも泣きそうな目で雪を見つめる。猫は感情で涙を流すことは無いが、その目には確かに寂しさ、孤独感、懇願など様々な思いが渦巻いていた。
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「猫は感情で涙を流さない」という猫知識です。ここについては猫の実際の知識を用いているのです。そしてこの「猫は感情で涙を流さない」という情報は、終盤でも印象的に用いられます。

しかしリアルな猫知識を用いているとなると、他の箇所が気になります。
例えば
―――――――――――――――――――
 言ノ葉はさっきあった事など忘れ、その日一番の笑顔で雪に抱えられたまま一緒に眠った。
―――――――――――――――――――
とありますが、猫は感情で表情を笑顔にすることはないとされています。感情は仕草にて表現します。
また「黒猫と猫」において他の猫は言ノ葉を見た目によって三日前の黒猫のように見えると識別していますが、猫同士は視覚ではなく嗅覚によって個体を識別しています。お尻の匂いを嗅ぎ合ったり、鼻を近付け合ったりというのは、識別・挨拶・体調チェックといった意味のある行動です。見た目や鳴き声によって挨拶をするということは通常ありません。
という風に、実際の猫とは矛盾している箇所が複数見受けられます。

「猫は感情で涙を流さない」という猫知識が示されずに言ノ葉が涙をボロボロ流していたら、上記で挙げた矛盾も矛盾ではなくなるのです。猫が実際どうかということは置いておいて、本作では猫及び言ノ葉をとても人間的に表現しているのだ、ということで猫のリアリティはほぼ全て門前払いにできます。猫のリアリティは本作においてあまり重要ではありませんから。
しかし「猫は感情で涙を流さない」という猫のリアリティをひとつ示してしまった以上、じゃあ何で言ノ葉は笑顔になってるの? じゃあ何で猫は見た目で識別してるの? と、その他の箇所について疑問を浮かべるのは当然の流れです。本作の猫はとても人間的だけど、唯一「猫は感情で涙を流さない」だけはリアルを採用しますというのは腑に落ちません。
言ノ葉は猫だから感情で涙を流すことはないが、猫だけど感情で笑顔になることはある。というのは創作と現実の線引きがきちんとされていないと判断せざるをえません。本作では猫をどういうものとして表現しているのか、どの程度までリアルな猫を採用するのか、そのラインが整理されていないので、読者は本作の猫をどういうものと捉えたらいいのかがわからないのです。
半端に示された猫知識が、本作における猫観をブレさせてしまっているといえるでしょう。

言ノ葉が人間的な考え方をして知能レベルも高すぎる、というのは構わないと思います。これは猫知識以前の根のレベルのことですから。ここはもうそういう体で書いてることです。言ノ葉が人間の言葉を話せる前にどうして人間達の会話を理解できていたのかも同様です。
ですがそれよりも上の枝葉のレベルで「猫は感情で涙を流さない」というリアリティを示したならば、同じ枝葉のレベルの「猫は感情で笑顔にならない」「猫は匂いで互いを識別する」といったリアリティも同様に正しく示しておく必要があるでしょう。

リアリティを必ずしも示す必要はありません。示さないなら示さないでそういう作品でいいと思います。しかしリアリティを示したのならば、それと同レベルとされるリアリティについては他の箇所も示すべきだと考えます。


●細かいところ
ここからは本文中に気になった細かいところをあげていきます。

・その響きに応えるかのように低く、ずっしりと重い声が小さな祠の奥の方から黒猫を襲う。
その「声」とは「『我、獣神也、貴様は我に何を求める』」を指していますが、これはどう見ても応えてます。「応えるかのように」というのは正しくない言い回しです。応えてますので。
本作では『』は猫か獣の話し声、「」を人間の話し声としており、三人称の語り手は『』の発話内容を認識できているのか曖昧に見えます。もしかしたら三人称語り手は『』の内容を把握できないため「応えるかのように」と表記しているのかもしれません。
しかしその場合は「ずっしりと重い声」と「声」と表記するのはやや不自然です。祠の奥から聞こえる言語にできない音を「声」と表記するのは無理があるからです。言語として把握できているのが前提でなければ、祠の奥から聞こえてくる音を「声」とは表記しないでしょう。

・しかし、彼にはなぜ人の言葉を得たいのか自分でもよく分かってはいななかった。
「分かってはいななかった」→「分かってはいなかった」

・しかし、彼にはなぜ人の言葉を得たいのか自分でもよく分かってはいななかった。
この文章を略すと「彼には自分でもよくわかってはいなかった」となり、文章が上手く通りません。
「彼には」を「彼は」とする方がいいでしょう。

・獣神の警告に即答した黒猫は闇を映す金の瞳を閉じ、獣神の次の言葉を聞くことなく疲労感と共に眠りに落ちた。
会話の途中で言ノ葉が眠ってしまうのはとても大事な要素です。これによって代償を知らずに言ノ葉は契約を結ぶことになるのですから。
しかしどうして途中で眠ってしまったのか、理由が「疲労感」としか示されておらず、非常に弱いです。
どうしてこの場面で言ノ葉が疲労感を得ていたのかについて一切の理由が示されていないですしね。
冒頭で「一日かけてかき集めてきた果実などを供えて」などがあったり「獣神が現れてくれたという安堵で」などがあることで、若干補強することはできると思います。

・清々しい春の風が朝露とともに新緑の葉を揺らす。弥生も終わりかけであと少しすれば夏だというのに
「新緑」と「弥生」では時期がズレているように感じますが、本作は江戸時代らしいので旧暦が使われていると推測できます。
旧暦では弥生は、新暦における三月下旬から五月上旬までを指しますので、「弥生も終わりかけ」は五月初旬頃であると思われます。「新緑」とは初夏の若葉を指す言葉ですので、概ね合致します。
「弥生」と「新緑」に感じるズレは新暦で暮らす私達への小さな遊び心であり、江戸時代という本作の舞台を上手く使ったいい工夫だと思います。

・「居る」「様(よう)」「事(こと)」「無い」「為(ため)」「又(また)」
これらの言葉は漢字表記ではなく平仮名表記にすることをオススメします。
平仮名表記でも文が自然に伝わりますし、逆に漢字表記にすることで文が読みにくくなってしまいます。

・いくつもの花が描かれた薄紅色の着物からすらりと伸びた手は、靡く自身の黒髪を一房指に引っ掛け、困った顔で耳にかけている。
「いくつもの花が描かれた薄紅色の着物からすらりと伸びた」が指す「手」は腕を含めた全体としての「手」ですが、「靡く自身の黒髪を一房指に引っ掛け、困った顔で耳にかけている。」が指す「手」は手首から先の部分の「手」を指しています。この二つの「手」がひとつの文の中で混同されているため、文が上手く成立していません。
この文では着物から後者の意味の「手」が巨大な「手」として直接生えているように解釈することが可能になっています。
文章の改善をオススメします。

・その姿は美しく、また、儚くて一枚の絵の様だった。
「その姿は美しく」「また儚くて」「一枚の絵の様だった。」という三つのブロックだと思うので、読点の打ち方を「その姿は美しく、また儚くて(、)一枚の絵の様だった。」とするのがいいのではないかと思います。

・その質問に答えながら振り向いくと
「振り向いくと」→「振り向くと」

・怪奇現象と言うに相応しい状況
発話という行動を示す以外の「言う」は「いう」と平仮名表記にすることをオススメします。
必要のない場面での漢字表記は文章のぎこちなさを与えてしまいますから。

・猫は自分の言葉が通じる人間を、雪は目の前で喋る珍妙な黒猫、
「珍妙な黒猫」→「珍妙な黒猫を」

・「そういえば君はなんて名前なの?」
・「名前? あ、自己紹介がまだだったね。私は井上雪。猫ちゃんは?」
・「僕の名はね……あ、そっか。僕は言葉が話せるようになっただけで名前はないんだ」
名前を持たない言ノ葉が率先して雪の名前を尋ねるというのは違和感があります。
おそらく人の会話を聞いていた言ノ葉は猫は名前を持たないものだが人間は名前を持つものだという認識があったということなのでしょうが、ならばそこについて補強がほしいです。
自分は猫だから名前なんて持たないのが当然だったが、雪に名前を訊かれることでまるで自分も人間になったみたいだ、など。

・黒猫の周りの温度が急激に下がり春とは思えないほど周囲の空気は冷たくなった。
自分の名前がないことに言ノ葉が落ち込んだことを示す隠喩でしょうけども、それにしては大袈裟な印象があります。比喩が大きく強すぎます。

・「...じゃあ言葉を話すから〈言ノ葉〉は?
・言ノ葉って書いて〈ことのは〉って読むの! ぴったりでしょ」
改行がされていますけども、改行を挟むような場面ではないので、改行せずに続けるのがいいと思います。おそらくミスでしょうか。

・「...じゃあ言葉を話すから〈言ノ葉〉は?
・言ノ葉って書いて〈ことのは〉って読むの! ぴったりでしょ」
小説などでは人名の表記について、説明をせずとも相手に伝わるという暗黙のルールがあります。「ことのは」という音だけで相手に「言ノ葉」と伝わるのです。何故か。
ただそれをせずに敢えて表記について説明することでリアリティのあるやり取りを演出することも可能です。
ですがこの文は、表記について敢えて説明しているにも関わらず何一つ説明になっていません。「言ノ葉って書いて〈ことのは〉って読むの!」では「ことのは」が「言」「ノ」「葉」と表記することを把握しようがありません。「〈言う〉に〈の〉と〈葉っぱ〉で〈ことのは〉って読むの!」などは、敢えて説明するならば最低限求められるところでしょう。
おそらく十八さんは言ノ葉の表記を説明したいのではなく、言ノ葉の読みを読者に説明されているのだと思います。そちらを優先したいのならばフリガナをつけるのが最も簡単に済ませられます。フリガナをつけたくないならば、読者を向いてではなく言ノ葉を向いて説明をすべきですね。

・「当たり前だよ! 私、ちょうど猫を探していたの。だから私たちはもう家族だよ!」
ここを「黒猫」ではなく「猫」としているのは、結局雪がどういう意図で言ノ葉を迎え入れたのをボカす目的があるのかなと思います。「黒猫を探していたの」だと労咳を治すためというのがおよそ確定してしまいますからね。
しかし状況的に雪の意図は労咳を治すため以外は考えづらいです。本作を読む限り、病に侵された雪が森に入ってまでわざわざ猫を探す理由は他に見当たりません。
雪の意図が労咳を治すためならば「猫を探していたの」は不自然な発言です。ただの猫では駄目で、黒猫である必要があるので。
ということで、黒猫を探すと明言せずに黒猫であることを示唆するならば「ちょうど君みたいな猫を探していたの」などにするのがいいと思います。

・そして、雪は言ノ葉を抱え森の中から雪の住む賑わう町から少し離れた小さな村へと帰っていった。
この文は「そして、雪は言ノ葉を抱え森の中から雪の住む賑わう町」まで読んだ時点では「雪は賑わう町に住んでいる」と理解しますが、「そして、雪は言ノ葉を抱え森の中から雪の住む賑わう町から少し離れた小さな村」まで読んで「雪は賑わう町ではなく、そこから少し離れた小さな村に住んでいる」と理解し直す必要があり、手間がかかる一文になっています。
文章全体を書き直すことをオススメしますが、「そして、雪は言ノ葉を抱え森の中から雪の住む、賑わう町から少し離れた小さな村へと帰っていった。」と読点を入れるだけでも読みやすさは向上します。若干ですが。

・「私、貧乏だから言ノ葉に贅沢なんてさせてあげられないの。なのに連れてきてごめんね。」
会話文の終わりに句点がついています。他の会話では会話文終わりに句点がついていないので、ここはミスと判断して差し支えないと考えます。

・雪は言ノ葉に聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で呟いく。
「呟いく」→「呟く」か「呟いた」

・こうして、会話ができる一人と一匹の奇妙な生活が始まった。
通常こういったお話については動物側が会話ができることにフォーカスをあてがちですが、会話というのは「複数の人が互いに話すこと」という意味なので、動物と人間については動物のみならず人間も会話できないということになります。
この文章からは言ノ葉も雪と会話ができるし、雪も言ノ葉と会話ができるという意味合いを読み取ることができ、その中立的な見方には好印象を覚えました。言ノ葉の特別を出しすぎない書き方でいいですね。

・何もかもが真新しく、野良猫として生活していては知る事ができなかったものばかりだ。
「真新しい」とは新しいを強調した言葉ですが、一般的にその物自体が新しいことを指します。物として作られたばかりであるとか、物理的客観的なニュアンスですね。
本文では言ノ葉の主観として新しく感じられるということなので「真新しい」よりも「新鮮」といった語彙が適切ですね。

・何もかもが真新しく、野良猫として生活していては知る事ができなかったものばかりだ。
「知る」というのは通常「その物を概要を把握する」というニュアンスがありますので、この文の段階では言ノ葉は部屋にある物がどういう物であるかという把握はできていません。
飽くまでその物の存在を認識しているという程度ですので、「知る」ではなく「見る」がより適当だと考えます。

・「ああ、あそこに乗ってるの? あれは戯作だよ」
・「戯作?」
言ノ葉は「戯作」という単語を知らないのに「戯作」と正しく表記できている点、さきほど述べた「言ノ葉」の表記の件を思い出します。
別に言ノ葉が「戯作」と表記できていたとしてもスルーできるところではあるのですが、「言ノ葉」では表記について言及されていたので、ここで言ノ葉が「戯作」とすんなり表記できる点には違和感を強く持ちます。

・昔、父が一冊だけ買ってきてくれてんだ。
「くれてんだ」→「くれたんだ」

・しかし、言ノ葉の目にはよく分からない記号がたくさん映っているだけに見えたのだ。
「映る」とは光などが反射したりスクリーンなどに動画が現れるという意味があります。ですのでこの文には不適ですね。紙に文字が載っているので。
ならば「写る」なのかというとそうとも考えにくいです。「写る」は物を静止画の状態にそのまま起こすといった意味です。写真や書写などですね。原本から印刷されることで紙に写っているということなら通らなくもないですが、この文ではそういうことを伝えてるわけではありません。
この文ならば「並んでいる」とするのが一番自然に収まるのではないかと思います。

・文字が読めない。その事にいち早く気づいた雪はそんな提案をする。この本は雪のお気に入りだったから、どうしても言ノ葉にも読んで欲しい、知って欲しいと思ったのだ。
東海道中膝栗毛を知ってほしいということだったら、文字を教えずに雪が東海道中膝栗毛の読み聞かせをすればいいんじゃないかな、と思いました。
東海道中膝栗毛に限らず、沢山の物語を読んでほしいということならばその手段として読み書きは重要になってくるでしょうが。

・「じゃあ今日は自分の分だけ作って食べて!
・僕は自分で捕りに行くから」
改行が入ってますね。上のと合わせて二回目なので、もしかしたら意図的なのかもしれません。
改行をする意図は掴めませんが、改行をしてはいけないということもないので、十八さんのお好きなようにしていいと思います。

・れから言ノ葉は三日ほどで平仮名を読めるようになった。
・三日前まで過ごしていた森へと向かった。
「三日ほど」は日数をぼかしていますが「三日前」は日数を特定している言い回しです。
どちらでも全く問題はないですが、およそ三日間なのか、それとも三日間なのかというのは統一しておいた方が無難だと思います。

・狩りをするにおいて、情報収集は欠かせないし、手柄を分かち合わなければならなくなるが、頭数がそろっていた方が効率もいいのだ。
猫は集団では狩りを行わず、単独で狩りを行います。
これも上の項目で記したリアリティに抵触する箇所だと思います。「猫は笑顔にならない」「猫同士は匂いで識別する」と同レベルのリアリティだと判断します。

・その後他の猫にも何度か遭遇したが言葉は通じず、一狩り終えた満足感も、食事のあとの満腹感も溢れ出る虚無感に飲み込まれて感じること事ができなかった。
言ノ葉が狩りに成功したのかどうか、若干把握しにくい文章だなと思いました。
狩りに成功したであろうとは思うのですがいずれも言ノ葉の感覚に焦点をあてた文になっているので、狩りに成功したことを伝えるならもっと明記しておいた方が読者は把握しやすいのではないかと思います。言外に伝える情報でもないですし。

・しかし、雪も言ノ葉の異変に気がついていた。
「雪も」→「雪は」
この場面で異変に気が付いたのは雪だけですので。

・しかし、それかは五日たっても雪の容体は悪くなる一方だった。
「それかは」→「それから」

・皮肉にも、太陽は明るく元気に輝いていた。
雪の症状に対しての皮肉なのでしょうけど、あまり皮肉にはなってないように感じました。

・言ノ葉が医者の住む家に行くと患者はいないようで、医者はお茶を飲んでいた。
まるで言ノ葉は医者の住む家がわかっているかのようなスムーズさなので、「町を探し回って」などの補強が欲しいです。

・聴きたいことは山ほどあった。
尋ねるという意味での「きく」は「聞く」か「訊く」と表記し、「聴く」とは表記しません。
「聞く」か「訊く」のいずれかがいいでしょう。

・どれだけ祈っても、願っても獣神の声は聞こえてこなかった。
・暗い暗い森の中、ふと、獣神様の声が聞こえた気がした。
「獣神」「獣神様」の表記揺れです。呼称については統一しておくのが無難です。読者の気が散ってしまうので。

・『獣神様、獣神様。どうか私の願いを叶えてください』
・『我、獣神也、貴様は我に何を求める』
・『?! ……獣神様、どうか私に人の言葉をお与えください』
・『いいだろう。ただし多少の犠牲が伴うぞ』
・『構いません』
・『獣神様、獣神様。どうか私の願いを叶えて下さい』
・『我、獣神也、貴様は我に何を求める』
・『?!...獣神様、どうか私に人の言葉をお与え下さい』
・『いいだろう。但し犠牲が伴うぞ』
・『構いません』
冒頭の台詞を繰り返している場面なので、ここは全く同じ表記であることが望ましいです。
「叶えてください」「お与えください」と「叶えて下さい」「お与え下さい」で表記揺れです。「~ください」がいいと思います。
「……」と「...」の表記揺れです。他箇所とも揃えるなら「……」がいいと思います。
「ただし多少の犠牲」と「但し犠牲」の表記揺れ。犠牲は多少ではないように思えるので「ただし犠牲」がいいと思います。

・まだ肌寒く森の奥深くまで出歩く者はたった一人を除き誰も居なかった。
・齢十七程、長くのびた艶やかな黒い髪がサラサラとそよ風にのって靡いていた。
・日が沈んでいる為最低でも6時間は過ぎている。
・我の加護では初めにあった人間1人と意思疎通させるのが精一杯だ。
「一人」「十七」「6時間」「1人」と数字についての表記揺れが見受けられます。

・言ノ葉は一瞬戸惑ったが長い間を開けて漸く獣神様が言葉を発した。
「開けて」→「空けて」

・これがあの夜の出来事だと聞かされ、言ノ葉は激怒した。そりゃあそうだろう。そんな大事な所を勝手に決められたのだから。確かに疲れて眠ってしまった言ノ葉にも非はあるだろう。然し、一生を左右するような契約なのに軽い。軽すぎる。しかも当の本人返事してないのに勝手に肯定と捉えられている。巫山戯るなよ……と言ノ葉が怒るのも仕方が無いだろう。
三人称語り手の自我が強すぎる印象があります。話し言葉の雰囲気も出てますね。
この契約について言ノ葉と獣神様のどちらに過失があるかというのは話にとって重要でもありませんし、それまでの語りを崩してでも獣神様を責める必要性は見受けられないです。
過失割合については軽く流していいだろうと思います。

・しかも当の本人返事してないのに勝手に肯定と捉えられている。
「当の本人」→「当の本人が」

・巫山戯るなよ……と言ノ葉が怒るのも仕方が無いだろう。
「巫山戯るなよ」は言ノ葉の言葉や意思なので、漢字表記ではなく平仮名表記が妥当かなと考えます。
割と見ますが難読には違いありませんからね。

・だが結んでしまったのも仕方が無い。
「結んでしまったのも」→「結んでしまったのは」の方が文通りがいいように見えます。

・もう死ぬまで外れることのない契約に気を落としつつも向き合うしかないと言ノ葉は悟ったような顔つきであっそうと呟き獣神様を放置して森を抜けた。
文章の連なりが長いので、句点で区切るか読点で区切るかして調整することをオススメします。

・つまり、頼れるのは、寂しさを感じさせないのは、帰る場所は雪しかいないのだ。
「頼れるのは」「寂しさを感じさせないのは」「帰る場所は」全てが「いない」の主語ですが、「頼れるのは」「寂しさを感じさせないのは」は「いない」と繋がりますが、「帰る場所は」「いない」というのは繋がりの悪い組み合わせです。
「帰る場所は」を「迎えてくれるのは」など、別の言い回しにするのが無難かなと思います。

・飛び出て行ったこと謝って
「飛び出て行ったこと謝って」→「飛び出て行ったことを謝って」

・そっと入口の襖を開けて一歩家に入ってから
「襖」とは木でできた枠組みに紙や布を張った戸のことで、主に建物内の仕切りとして使われます。
この襖が家屋の入口に使われたのどうかはわかりませんが、「入口の襖」よりも「表戸」や「大戸」とした方が無難ではないかと思います。

・その近くに一枚の白い紙が落ちていた。
「落ちていた」よりも「置かれていた」の方が適切かと思います。屋内ですし、雪か医者が言ノ葉に読ませるために置いたのでしょうから。

・自責の念に囚われながらも必死で現実を受け止める言ノ葉の姿はまさに、ヒトだった。
「ヒト」とは人間の社会や文化といった側面を排除した、生物学的言及を行う際の表記です。逆に「人」は人間の社会や文化というのを前提にした表記です。
この文では人間の中の感情面を指しているので「ヒト」ではなく「人」と表記するのが適切かと思います。

・(最後に顔合わせたのは?)
「顔」→「顔を」

・(誰が悪いの?何が悪かったの?)
本作では感嘆符疑問符の後には半角スペースが打たれていますが、この文ではその半角スペースがありません。
まくしたてるために敢えて省いているのかとも思いましたが「労咳という病気? 僕を連れてきた医者? 黒猫が病を治すといった人? 病気にかかった雪や雪の両親? なかなか出て来なかった獣神様?」では半角スペースが打たれておりますので、単純に半角スペースを忘れているだけと判断します。

・雲一つない暗い闇の空には綺麗な星とお月様が輝いていた。
・闇色の空には苦しい位に綺麗な星がひとつ、優しげに言ノ葉の方を向いているだけだった。
さきほどまで月が輝いていたにも関わらず、ここではまるで月がないかのような描写がされています。統一することをオススメします。

・その間ご飯も食べれずそのまま憔悴しきって死んでしまうのだ。
・しかし、一度温もりを知ってしまったらもう孤独には耐えられない。
本作では「食べる」の可能を「食べれない」とら抜き言葉で表記しています。話し言葉ならいざしらず、書き言葉でら抜き言葉はどうなのかという声もあるでしょうが、フィンディルはら抜き言葉は問題ないと思います。
しかし「耐えられない」は「耐えれない」ではなく、らを入れた表記をしているので、こちらではら抜き言葉、こちらではらを入れた言葉と表記上の不統一が見て取れます。
ただし、ら抜き言葉の有用性としては「可能」と「受身」を表記で区別できることなので、「受身」では通常使われない「耐える」ではらを入れて、ら抜き言葉の有用性を示せる「食べる」ではら抜き言葉で表記しているとすれば、筋の通った使い方だとは思います。
つまり、問題はないけどちょっと気になったというお話です。

・黒猫が労咳を治すって聞いて黒猫を探していたのに病気なおせなくてごめん。
「治す」「なおせなくて」の表記揺れです。
他の語彙での漢字と平仮名の表記揺れが散見していますので、表記を統一することをオススメします。文章への没入を妨げる可能性がありますので。

・根拠も確信もない。でもなぜか自信だけはあった。
「確信」がないのに「自信」はあるというのはやや不自然ですので、「確信」は「確証」などにするのがいいと思います。

・井上家之墓の前には痩せ細った黒猫が一匹、寄り添うように倒れていた
句点がありませんが意図的でしょうか。締めなので意図があっても不思議ではないのですが、意図があるならばその意図が掴めませんでした。
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Date:2019/02/19
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